旭川・留萌の土木遺産

 (2016年10月31日作成)

概 要

 現在,北海道の「土木学会選奨土木遺産」は38箇所ある.今回,1)旧函館本線神居古潭トンネル群,2)覆蓋付緩速ろ過池(旭川市春光台配水池),3)旭川市旭橋,4)留萌港南防波堤を見て回った.
 旭川から留萌に向かう途中で,工事中の留萌大橋(仮称)を見学した.

 昼食は,旭川の鳥料理小野木(旭川市東旭川北1条6丁目10−17 電話: 0166-36-1146)であった.また,福吉カフェ旭橋本店(旭川市常盤通2丁目1970−1 電話:0166-85-6014)から,どら焼きを頂いた.どちらも非常においしかった.

 今回の行事は,土木学会主催の土木遺産ツアーである.案内者が,それぞれの分野の専門家だったので充実した内容のツアーであった.
 当日配られた資料は,オールカラーで54ページ,その他に留萌建設開発部 留萌開発事務所の『もうすぐ留萌まで繋がる「深川・留萌自動車道」』という資料も頂いた.
 なお,以下の記事で『参考資料』とあるのは,当日配られた「平成28年10月29日(土) 土木学会主催 土木遺産ツアー 参考資料」である.

旧函館本線神居古潭トンネル群

 北海道の鉄道は,1880(明治13)年に手宮(小樽)と札幌間が開業して始まった.1882(明治15)年には手宮と幌内の間が開通し,石炭の運搬が始まった.
 1896(明治29)年には空知太(滝川)と旭川間の上川線の工事に着手し,1898(明治31)年には旭川までが開通した.
 この時に建設されたのが神居古潭トンネル群で,滝川側から神居古潭トンネル,春志内トンネル,伊能トンネル(初代は伊能隧道と呼ばれ川側にあるという)である.

 今回見学したのは,白い吊り橋・神居大橋で対岸に渡って深川方面に行った所にある神居古潭トンネルである.建設時の覆工はレンガ巻であったが,サイクリングロードとして解放するために内巻コンクリートで補強されている.わずかに坑門に建設当時の姿が残されている.


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図1  神居古潭トンネルの尾根
 神居古潭トンネルは,正面左手の尾根を貫いている.手前の白い吊り橋が神居大橋,左奥は神居岩である.


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図2  神居古潭トンネル
 線路跡の自転車道路と神居古潭トンネルの深川側坑口である.石狩川に張り出した小さな尾根の下を通っていて偏圧地形である.馬蹄形のコンクリート覆工で防護されている.


図3 神居古潭トンネルの坑門.jpg
図3  神居古潭トンネルの坑門
 旭川側の坑門である.レンガ積みで脚部は石材を使っている.建設から128年たっているが,それほど傷んでいない.アーチ部の石は,建設当初からあったものを補強したと考えられる.


図4 神居古潭トンネル施工時の坑門.jpg
図4  神居古潭トンネル施工時の坑門(参考資料,4p)
 旭川側の坑門の施工時の写真である.支保は,木製支柱式支保工で,枝梁式(えだばり・しき)と思われる.今から見ると非常に危険な状態での工事である.


図5 木製支柱式支保工.png
図5 木製支柱式支保工
 木製支柱で施工する支保工の模式図である.支保間隔なども含めて支保パターンは坑夫が決めていた.支保工の作業をする斧指(よきさし),コンクリート打設を行う尻鍬(しりぐわ)など職種が色々あったという.(土木学会,2009,93p.原典は,「昭和39年土木学会制定トンネル標準示方書解説,1964」)

覆蓋付緩速ろ過池(春光台配水場)

 次に向かったのは,旭川バイパスの北にある春光台配水場である.
 現在は配水場として使われているが,造られた時は軍用水道のろ過池で完成したのは1913(大正2)年である.
 上水道施設の条件は,1)水圧をかけることができること,2)鋳鉄管を使用していること,3)ろ過水を送れることである.日本では,明治以後の開港で船に衛生的な水を供給することが求められたため,最初に横浜,次に函館で上水道施設が設けられた.
 旭川の場合は,第七師団へ上水を送ることを目的としてこの施設が造られた.第七師団は日露戦争後,兵士教育の場として道内の軍隊組織の中心となった.

 春光台のろ過池の特徴は,凍結防止対策としてレンガ造りの半円形の屋根が緩速ろ過池と配水池にかけられたことである.それぞれの施設は厚さ75cmの土で覆われているのも特徴である.
 平成24(2012)年度に施設の劣化状況診断が行われ,漏水や浸水の防止対策を実施すれば今後も利用可能と診断され,現在は配水池として利用されている.


図6 春光台配水池.jpg
図6 春光台配水池全景
 左のサイロのような建物は配水塔で,その左奥に見える高まりが配水池である.普段は一般の人は立ち入り禁止である.


図7 水神碑.jpg
図7 水神碑
 配水池構内の南端に水神様が祭られている.施設の南側の林の中には,「軍用水道碑」が立っている.


図8 配水池内部.png
図8 配水池の内部
 レンガの柱にレンガのアーチが見事である.ほとんど痛みが見られない.2012(平成24)年の構造診断時に撮影されたものである.(参考資料,16p)

旭橋

 今回のツアーの最大の見どころである.
 旭橋は石狩川と牛首別川の合流点にかかっている長さ226m・4径間の鋼橋で,1932(昭和7)年に竣工した.今年で84年を迎える.
 この橋の特徴は次の4点である.橋の下に行けばバックルプレートを見ることができるそうであるが,今回は天候が悪いこともあり行くことができなかった.


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図9 南側(常盤公園側)から見た旭橋
 中央アーチ部の径間は約91m,それ以外の部分は写真の手前側(南側)は1径間で,北側は2径間となっていて非対称である.


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図10 北側から見た旭橋
 主径間の部分に弓の弦の役割をする高張力綱のタイド・アーチの繋材を使用してアーチを持たせている.右が下流である.


図11 ロッキング・カラム.jpg
図11 南側のロッキング・カラム
 写真の右から2本目の縦材がロッキング・カラムである.その頂部の横材は,景観を考慮した飾り部材である.


図12 ロッキング・カラム.jpg
図12 南側のロッキング・カラム近景
 中央がロッキング・カラムで,その頂部左側の横材は,摺動(“しゅうどう”あるいは“しょうどう”:滑って動くこと)する構造となっている.この時は,カラムは左(北側)に傾いていた.


図13 北側のロッキング・カラム.jpg
図13 北側のロッキング・カラム
 ロッキングカラムの部分で舗装面に段差ができている.


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図14 橋門構
 内側アーチが橋脚に載る位置の外側アーチに設けられている橋門構である.上下に分割したものを電弧溶接(アーク溶接)でつなぎ合わせた.


図15 門型クレーン.jpg
図15 施工中の様子
 移動式門型クレーンでアーチリブを架設している.(昭和7年1月.参考資料,27p)

留萌港南防波堤

 留萌川河口に設けられた留萌港は,波浪が大きいことで有名で,インドのマドラス港,イギリスのウィック港と並び世界の三大波濤(さんだい・はとう)に数えられた.
 南防波堤は1910(明治43)年の築港時に重力式ケーソンで建設された.1920(大正9)年11月から翌年にかけて大時化によって被害を受け,2,000トンのケーソン2函が破損し5函が移動した.
 その後も港の構造物が被害を受けたため,国内最大級の80トン消波ブロック(80t型テトラポッド)が置かれている.


図16 留萌港南防波堤.jpg
図16  留萌港南防波堤
 留萌から小平へ行く国道232号の西にある防波堤である.矢印の先端付近にポツポツと見えるのが大正時代に被災したケーソンの残骸である.テトラポッドヤードには,現在,80トン型テトラポッドが並んでいる.(グーグルアースに加筆)


図17 黄金岬の赤灯台.jpg
図17 黄金岬の赤灯台
 留萌港の西,大町の岬緑地に移設された赤灯台である.


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図18 黄金岬の赤灯台の林千明の字句
 赤灯台に記された林千秋の「千紫萬紅」の文字である.林は廣井 勇の門下である.東大卒業後,北海道庁に入って1918(大正7)年に27才で留萌築港事務所長になり,以後14年間,留萌港の建設に費やした.
 余談であるが,現在,豊洲新市場問題で名前の出ている日建設計の顧問などを務めている.


図18 留萌港に押しよせ津高波.jpg
図18 留萌港に押しよせ津高波
 留萌港南防波堤に押しよせる高波である.越波はするものの,消波ブロックはかなり効果を発揮している.


図19 留萌港ヤードの80トン型テトラポッド.jpg
図19 留萌港ヤードの80トン型テトラポッド
 高さが約5m,横幅が約6mである.大きさと数に圧倒される.左が海である.

参考にした図書など

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