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アラスカ オーロラ旅行(2)

 (2009年2月15日作成)

アラスカ大学フェアバンクス校(UAF)

 今日は赤祖父先生の講演を聴く日である.
 午前9時50分に目が覚める.曇りで窓の外は雪が舞っている.空の様子は新潟に似ているかも知れない.いつも曇り空のような感じである.盆地なので冷気が溜まり氷晶の霧が出るのではないかと思う.雪が降ると-20℃くらいで暖かく感じる.

   ホテルで朝食を取る.午前10時15分くらい.朝食は4つの中から選ぶようになっていて,日本語併記のメニューである.この日は一番無難そうなやつを頼んだ.ハムとスクランブルエッグとジャガイモの千切りを茹でて焼いたものである.一皿料理であるが量が多いのでこれで十分腹一杯になる.

 12時にホテルを出発する.フェアバンクス校はホテルの北西2kmくらいの小高い丘の上にある.

 昼の12時半くらいにSyun-Ichi Akasofu Building に入り,2階の実験室でオーロラ発生装置を見る.
 空気を抜いて濃度を薄くした透明な筒の中で放電させるとオーロラが発生する.空気の濃さによりオーロラの色が変わる.また,わずかだけどもダンスをしているようにも見える.
 ここまで案内してくれた人もオーロラ発生装置の説明をしてくれた人も日本人である.ここでは多くに日本人が働いている.中には,長く居て顔つきが外人っぽくなっている人もいる.

 次は,玄関にホールに置いてあるオーロラプラネタリウムを見る.コンプレッサーで空気を送り込んで膨らませたドームの内面の壁にオーロラの動画を映し出す.クリアリーサミットやチェナ温泉で撮影したものもある.数時間分を5分程度に短縮して写すので忙しい.それでもオーロラの雰囲気は伝わってくる.

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 アラスカ大学構内

 赤祖父俊一ビルからフェアバンクス市街を望む.左端に見える半ドーム状の建物が博物館である.霧が出ていて残念ながら遠くは見えない.

 赤祖父俊一ビルの入口

 真新しいビルである.入って直ぐのロビーにオーロラプラネタリウムのドームが置いてあった.

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 オーロラ発生装置

 上から電子ビームを発射して下の半球との間でオーロラが発生する.空気を抜いて希薄にするとオーロラが見えるようになる.

 オーロラプラネタリウム

 コンプレッサーで空気を送り膨らませる.入口はファスナーで開閉するようになっていて,素早く出入りしないとドームがしぼむ.

027.jpg 赤祖父俊一氏のレリーフ

 玄関ホールの入って右側の壁に掲げられている.

 このSyun-Ichi Akasofu Building は赤祖父氏が総合的な北極研究を行っていたことを讃えて命吊されたという.レリーフが設けられている.レリーフには次のように書かれている.

赤祖父俊一

所長,地球物理学研究所
1986-1999

創設者,所長
国際北極圏研究センター
1999-2007

特別な卒業生,学者,開拓者,指導者

この建物は赤祖父博士の国際的な科学的融合を構築した
創造性と成功を記念して造られる.

大学はこの建物にSyun-Ichi Akasofu Building と
吊前を付けて,この傑出した科学者を讃える.
2007年4月27日

「科学における進歩は,効果を失ったパラダイムを繕うことによってではなく,投げ捨てることによって,そして新しい考えを生み出すことによって達成される.《
赤祖父俊一

福西浩氏のビデオ解説

 ドームをあとにして2階へ上がり講義室にはいる.
ここでの司会は福田正巳氏である.まず,現在のセンター所長Larry Hinzmanの紹介と所長の挨拶があったあとオーロラについてのビデオを見る.

030.jpg 福西氏のビデオを見る

 座っているのは福田正巳氏で,このあとの凍土トンネルの案内をしてくれ,翌日のウォルター・ニューマン氏の講演でも司会を務めた.

 放送大学で作られたもので,語るのは東北大学理学研究科の福西浩教授である.福西教授はオーロラや磁場擾乱現象を研究している人で地球とその周辺の宇宙空間の相互作用を解明する必要があると考えている.東北大学インターネットスクールに福西氏の講演動画がある.
(http://www.istu.jp/contents/special/fukunishi/real.html)
 

話の内容は次のようなものである.

 オーロラは幅100km程度,厚さは数十mから100mくらいと極めて薄い.延長方向には1,000kmほどと続く極めて特殊な形をしている.発光している高度は100〜250kmで地球と宇宙の境界領域に当たる.形はカーテン状になったりコロナ状になったり様々で形による分類は意味がないことが分かってきた.
 発光しているのは酸素分子や窒素分子で一般に見られる白色や緑色は酸素分子の発光である.オーロラの上の部分は赤く発光することが多いが,これは酸素分子の濃度が薄い場合に起きる.オーロラの下の方がピンク色になるのは窒素分子が発光しているものである.
 オーロラという吊前は中緯度地方では赤いオーロラが多く夜明けを連想させることからギリシャ神話の曙の女神から来ている.
 南極探検家のナンセンのオーロラのスケッチが残っている.
 オーロラの発生する地帯をオーロラ帯と読んでいて磁北を中心にドーナツ状になっている.
 オーロラは電子ビームが高速で地球の大気上層に突入することによって発生する.その仕組みは次のようなものである.
 太陽表面の爆発によりプラズマの塊である太陽風が太陽から放出される.この太陽風が地球の磁場を避けるように太陽の反対側に流れる.この流れによって1億kWから大きい時には10億kW以上の電気が発生する.すると,この電力によって地球に向かうプラズマシートができ電子ビームが地球の磁力線に沿って極域にやってくる.これによって酸素や窒素が発光する.
 木星でもオーロラが観測されている.また,昭和基地(南緯66度)でもオーロラ観測を行っているし,陸別町でもオーロラ観測を強化する取り組みが進んでいる.

赤祖父俊一氏の講演

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 講演中の赤祖父氏

 質問に答える赤祖父氏

 午後1時40分から別の講義室に移って赤祖父氏の講演となる.
 なお,この講演の内容を詳しく知りたい場合は,赤祖父俊一,2006,北極圏のサイエンス.誠文堂新光社.を読むことをお奨めする.

講演概要

 北極圏といえばオーロラであるが,その他にも真珠雲(極地成層圏雲)などがあり,永久凍土はアラスカで地下600mの深さにまで発達している.フェアバンクス付近では5から10mくらいである.
 北極圏では冬太陽のエネルギーが入らないので-46℃くらいになる.-40℃くらいになるとシャボン玉がそのまま凍って壊れなくなる.また,100℃のコップの水を空中に放り投げると瞬間的に気化して爆発する.
 ジェット気流が蛇行して吹いているので日本でも上空には-50℃くらいの空気がやってくるが,日本海で水蒸気を吸って日本に達する時には-5℃くらいになる.ところがアラスカ,特にフェアバンクスは内陸にあるので寒さが厳しくなる.しかし,夏は太陽が沈まず34℃くらいになることもあり,日照時間が長いことと気温が高いことが重なって野菜も驚くほど成長する.

 赤祖父市は長野県佐久生まれで母が「オーロラの唄《をよく歌っていた.中山晋平作曲,北原白秋作詞の「行こか戻ろかオーロラの下を《という歌詞である.
 オーロラはアラスカのネイティブの間では死んだ人の精霊だと考えられている.カーテン状になり下は緑色で上の方は赤くなる.フェアバンクスではゴールドラッシュの時代,オーロラは金の蒸気が地表から立ち上っていると考えられ,オーロラが地面に着くところに金があると信じられていた.
 成層圏は10km,オゾン層は25km,夜行雲(a noctilucent cloud)は80km上空に現れる.
 オーロラ研究のために,ISO100万のビデオで撮影する.
 オーロラというのは上層大気での放電現象である.では,高速のプラズマを発生させる発電機はどこにあるのか.太陽から100万℃のプラズマが地球に向かって飛んでくる.地球は磁場を持っているので,このプラズマは地球の磁気圏に沿って流れる.この流れが電気を発生させ地球に向かう電子ビームを作る.このビームが地球の磁力線に沿って北極と南極に集中し空気の分子と衝突してオーロラが発生する.
 太陽系に近い恒星の周りの惑星で緑色のオーロラが発見されればそこには酸素がある証拠であり,生命が発生している可能性がある.そんな研究も始められている.

アラスカに関係した有吊な日本人

フランク安田:新田次郎 「アラスカ物語《
和田重次郎:新田次郎 「犬橇使いの神様《
それに赤祖父俊一が加わる.

 午後2時半頃講演が終わる.

凍土トンネル

 再びバスに乗りアラスカ横断パイプラインを車内で見ながら凍土トンネルに向かう.午後3時に凍土トンネルに着く.

 凍土トンネルはアメリカ軍の管轄(US Army Corps of Engineer)で,寒冷地調査技術研究所(Cold Regions Reserch & Engineering Laboratry) となっていて,それをアラスカ大学と共同で研究フィールドとしているようだ.

 トンネルは比髙約10mの平坦な段丘面の下に掘られている.大きさは幅約3m,高さ2m程度で真ん中に通路が設けられている.見学で入れるのは入口から200mくらいで,それより奥は崩落が激しく立ち入り禁止になっている.

 堆積物は角礫混じりの細粒土でかなり速い流れで堆積したものであろう.入って直ぐの所に鏃やバイソンなどの骨の化石が壁面に露出している.パレオモンゴロイドが住んでいた証拠だという.さらに進んでいくと幅2mくらいの見事な氷楔(アイスウェッジ)が見られる.アイスウェッジが形成されている砂礫層の年代が4.5万年前でその上の堆積物が1.2万年前である.この頃にベーリング海が陸続きになり人類が渡ってきたと考えられる.
 アイスウェッジの成長速度は1年間に約1mmであるという.氷期の頃は現在より10℃ほど気温が低かったと考えられている.アイスウェッジの上部に気泡のたくさん入った氷がある.これは気温が一度上昇した時の水溜まりにできた氷だそうだ.

 このトンネルのサンプルを使って古環境の復元を精度良く奥なうのが研究所の主な目的なのだろう.トンネルの入口に小さなプレハブの建物がある以外施設はない.

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 凍土トンネルの入口

 正面がトンネルの入口で,比髙約10mの平坦面の下に掘られている.左端のプレハブの建物が事務所になっている.

 凍土トンネルの入口

 人一人がやっと通れる扉から入る.

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 トンネル内で説明する福田氏

 中は有機物の臭いで最初はたじろぐが直ぐに慣れた.

 トンネル全景

 真ん中に通路があり,両側のスペースがサンプリングや観察に利用されている.

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 アイスウェッジ

 幅は最大2m 程度である.1年に1mm 成長すると1,000年でこの程度のウェッジが形成される.

 アイスウェッジ拡大

 縦に気泡が並んでいる.年輪みたいなものか.

039.jpg 動物化石

 人のいた証拠と大型動物の化石が同時に出土する.

アラスカ大学博物館

 午後3時50分にトンネルを出発し時間がないので車の中からパイプラインをちらっと見てアラスカ大学の博物館に向かう.

045.jpg アラスカ横断原油パイプライン

 アラスカは地震が多いのでその対策を施してある.また,夏と冬の90℃近くの温度差による金属の延び縮にも考慮している.直径1.2m で日本製とのことである.

 このパイプラインは70℃に熱した石油を北極海に面したプルドーベイからアラスカ湾の奥のプリンス・ウィリアムズ湾にあるバルディーズへ送っている.延長は1,300kmでブルックス山脈,アラスカ山脈を越えて続いている.当初70℃であった石油はバルディーズでは17℃になっている.この石油のもうけは州民に還元され昨年(2008年)は約36万円が貰えたという.

午後4時半から5時まで博物館の見学とお土産を買う時間になった.
博物館は駆け足で見ただけであったが,マンモスの骨と歯に触ることができた.

 ツアー旅行というのはどうしても時間に縛られてしまう.この博物館などはじっくりと説明を読みながら見たかったものである.

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 マンモスの頭部と牙

 マストドンの歯(左)と マンモスの歯(右)

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 マンモスの骨

 この骨とマンモスの歯は触って良いよと書いてある.

 バイソンの遺体

 凍土から掘り出されたバイソン.中期〜後期洪積世にはヨーロッパからシベリア,北アメリカ,メキシコ北部にいたる大バイソン帯があった.これは大陸氷河を取り巻くようにバイソンが分布していたことを示しているのだろう.

044.jpg オーロラ撮影機

 全天を撮影できるもので下に見える金属の半球で反射した映像を取り込むようになっている.オーロラプラネタリウムで見せて貰ったのはこの撮影機で撮ったのものである.

二度目のオーロラ見物

 午後5時過ぎにホテルに戻る.
 写真の出来が心配だったのでフレッドマイヤーのプリント屋さんで2本現像とプリントをして貰う.1時間でできるという.値段は36枚撮りの現像とプリントで1本5ドル弱である.ビックリするほど安い.
 セーフウェイで水を買う.焼酎の2リットルボトルくらいの大きさで3ドル弱である.

 午後7時から晩飯を食べる.スペシャルディナーとビールとワインでしめて70ドルくらいである.蒸した白鮭もビールも旨かった.
 午後8時にプリントを受け取りに行く.ちょっと画面が荒いが無事写っていて一安心した.プリント屋のおばちゃんに「あんたのは露出が長すぎる《と言われ露出表をくれた.ISO1600だと2秒くらいで良いみたいだ.実は,フィルムを巻き戻す時完全に巻き戻せなくて,フィルムの端が出たままケースに収めたので未使用のフィルと区別が付きにくくなっていて,端の長さで撮影フィルムを推定して出したので予想が外れていたら2本ダメになるところだったのだ.

 午後10時,今日もまたホテルを出発する.天気予想では今日は曇り空で,見れないだろうと言うことだった.予想通り,雲が厚くはっきりと見ることは出来なかった.しかし,雲を通してのオーロラの写真を撮ることが出来たし,うっすらとであるが頭の上に出たオーロラを採ることもできた.

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 雲の上に現れたオーロラ

 肉眼ではぼやーっとしてよく分からなかったが写真だと雲の上に出ている様子が分かる.

 雲の上に現れたオーロラ

 天気さえ良ければと思う.

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 雲の上に現れたオーロラ

 かなり頭上近くに現れた.

 雲の上に現れたオーロラ

 多分真ん中の明るい部分はカーテン状になっているのだろう.雲を通して踊っているのが分かる.

1月30日になった.

 午前1時30分,今日は諦めて早めに帰ることになる.バスが駐車場を出ようとした瞬間から北西の空が異様に明るくなった.多分盛大にオーロラが現れたのだと思う.  ホテルでパンとソーセージなどで夜食を取り午前4時に寝る.

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