房総半島の海岸段丘と津波堆積物

 (2016年9月28日作成)

概 要

 日本地質学会第123年学術大会は,世田谷区の桜上水にある日本大学文理学部で開かれた.その事前巡検が「房総半島における関東地震の隆起・津波痕跡」である.
 案内者は,産総研の宍倉正展氏と秋田大学の鎌滝孝信氏であった.

 相模トラフ沿いでは1703年の元禄関東地震(M8.2)や1923年の大正関東地震(M7.9)が発生している.これらの地震によって房総半島南部では陸地が隆起して段丘が形成されている.また,津波堆積物も確認されている.

 朝8時半に東京駅に集合し,バスで現地に向かった.

館山市見物海岸の隆起の痕跡

 最初の見学地は,館山市見物海岸の隆起地形である.

 見物海岸は房総半島先端近くで西に張り出した洲崎の北の海岸である.海岸は砂浜の間に礫岩優勢層の岩盤が露出していて,この岩盤に地震段丘が記録されている.
 現成の波食棚の標高は-1.0〜+0.1m,ノッチの最も凹んだ場所は+0.2〜+0.5mである.これに対して,大正関東地震による低位段丘の離水波食棚の標高は,+1.5〜+2.4m,元禄関東地震による高位段丘のそれは+4.7〜+5.6mである.
 隆起生物遺骸群集としてカキ,フジツボ,ヤッコカンザシが見られる.その中でヤッコカンザシの群集は,現成のものが標高-0.4〜+0.3m,低位段丘に関連したものが+1.0〜+1.7m,高位段丘のものは+4.0〜+4.6mである.C14による年代測定もそれぞれの年代と整合的である.
 大正関東地震の隆起量は1.4m,元禄関東地震の隆起量は3m以上と推定されている.


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図1  館山市見物海岸の全景
 砂浜の中に岩盤が突き出ている.左手の海に突き出た低い平坦面が,1923年の大正関東地震によって隆起した波食棚である.その右の高い平坦面が,1703年の元禄地震によって隆起した波食棚である.
 高さの目印として画面中央に案内者の宍戸氏がいる.


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図2  隆起生物遺骸
 画面中央付近に白く見えるのが,大正関東地震の波食棚に着いている生物遺骸である.この低位の波食棚は大正関東地震の時にはすでに離水していたという指摘がある.


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図3  波食棚をつくる礫岩層
 波食棚は礫岩を主とする地層で形成されている.5万分の1地質図幅「館山」では前期鮮新世・南房総層群・鏡ヶ浦層の砂勝ち砂岩シルト岩互層とされている.


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図4 大正関東地震の波食棚と現成のノッチ
 見学している時刻は午前11時頃で高潮位に近く,現成の波食棚やノッチは海水中で十分に見ることができなかった.ノッチが形成されているのは満潮に近い海水面のように見える.
 左端が説明する宍倉氏,その右奥が鎌滝氏である.


図5 大正関東地震の波食台と現成波食台.jpg
図5 大正関東地震の波食棚と現成の波食棚
 左手前が大正関東地震で隆起した波食棚で,現成の波食棚は海中に沈んでいる.向こうに見えるのは大房岬で標高約80mの mT5a(8万年前)の海成段丘が広がっている.

巴川の津波堆積物

 巴川は,東の千倉町と西の館山市の境界山地を源として,蛇行しながら西に流れ太平洋に注ぐ川である.巴川の下流は縄文海進時に水深15mほどの内湾となり,沼層と呼ばれる泥質堆積物が形成された.

 最初に津波堆積物の露頭を見学した地点は,現在の海岸から直線距離で約1.6kmの場所にあり,礫や砂からなる津波堆積物が内湾堆積物である沼層を削り込んで堆積している.礫には穿孔貝の巣穴が残っている.


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図6 沼層の堆積面
 手前の畑の面と向こうの平坦な林の面が沼層の堆積面である.畑の尽きた林の中を巴川が蛇行しながら流れている.


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図7 礫を含む津波堆積物露頭
 礫を含む津波堆積物露頭のある場所である.蚊はいるし風は通らないし夏に来るには,なかなか厳しい場所である.


図7 礫を含む津波堆積物.jpg
図8 礫を含む津波堆積物露頭
 堆積面の河床からの高さは約4mである.観察している人の左手付近から上に津波堆積物がある.


図9 礫を含む津波堆積物.jpg
図9 礫を含む津波堆積物の下底
 下位のシルト層を削り込んで礫や貝殻を含む地層が堆積している.この地層の年代は7,500年前である.

 最初に津波堆積物を見た地点から直線距離で800m上流の地点で細粒の津波堆積物を見学した.シルト層の間に中粒砂が挟まっている.ここの河岸に露出している津波堆積物は5層あり,一番古いT2層は8,100年前のものである.現在の海岸線から直線距離で2.4kmの位置にあり,古巴湾のほぼ中央にあたる.


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図10 砂を主とする津波堆積物
 内湾で堆積したシルト層に津波堆積物である砂層が挟まれている.薄い層をなして凹んでいる部分が津波堆積物である.この写真では4層がはっきり見えている.


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図11 砂を主とする津波堆積物
 内湾に堆積したシルトと主に砂からなる津波堆積物の互層である.7,800年前頃の津波による堆積物である.

千倉町の隆起痕跡

 次に向かったのは房総半島の最南端の南房総市・千倉町である。

 房総半島の南端,南房総市野島崎の北東に高塚山がある.この高塚山の南東に広がる海岸平野に地震によって隆起した何段かの段丘が見られる.
 今回は,千倉町千田と平磯の境界付近の農道に沿って段丘地形を見学した.県道の南東には「ちくら・潮風王国」がある.

 国道と並行する海岸沿いの県道の海側には大正関東地震によって隆起した標高1.4m,幅40mほどの大正段丘,県道の山側に幅220mほどの元禄段丘が広がる.
 元禄段丘の隆起量は6m以上と考えられている.この地震では波食棚だけでなく,さらに沖合の海食台も離水したため広い段丘面が形成された.この段丘面は沼 IV 面とされている.

 海岸に直角に農道を山側へ歩いていくと何段もの段差が見られる.最高面の標高は29.8m,7,200年前とされているので,この面は4mm/年の平均上昇量となり,火山性の隆起地域を除くと日本で最も早い隆起速度である.


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図12 大正関東地震の隆起面
 灯台の建っている岩礁が大正関東地震によって隆起した波食棚(大正面)である.県道のすぐ海側で,幅,隆起量とも元禄関東地震の隆起面に比べると小さい.右手奥に「ちくら・潮風王国」がある.


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図13 元禄関東地震の隆起面
 一面に広がる元禄関東地震の隆起面(元禄面)である.この地震では,岸に近い波食棚だけでなく沖合の海食台も隆起したために隆起面が広くなったという.この草原の50mほど先に千田と平磯の境界がある.


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図14 元禄面の山側
 農道に添っていくと小さな段差がある.この先には小さな段差が幾つか見られる.


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図15 元禄面の次の段差
 元禄面の山側の段差である.地質は,後期鮮新世・千倉層群・白間津(しらまつ)層の砂勝ち砂岩シルト岩互層で,走向は北東−南西,傾斜は山側に30°程度である.土壌は薄く,水田跡の畔に岩盤が露出していることがある.


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図16 沼 III 面
 国道410号の山側に広がる沼 III 面である.標高は10m前後である.奥には小さな段差地形が幾つか見られる.沼 IV 面(元禄面)から沼 I 面まで広い隆起面があり,その間に小さな段差がある.


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図17 沼 III 面奥の小段差
 国道410号の北西約230mで見られる小段差である.汀線の出入りも残っていて非常に生々しい.


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図18 沼 I 面
 標高30m弱の沼 I 面である.ゆるく海側に張り出している.背後の山は,後期鮮新世・千倉層群・布良(めら)層のシルト勝ち凝灰質砂岩凝灰質シルト岩互層からなる.


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図19 沼 I 面から海を見る
 標高30m弱の沼 I 面から太平洋を望む.現在の海岸線までの直線距離は約900mである.この間に,7,200年間の地震による隆起が残されていて,規模の大きい元禄型地震が4回,それより規模の小さい大正型地震が11回確認されている.

参考にした図書など

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