私の経歴
1943年(昭和18年)8月15日横浜市で生まれました.空襲を避けて相模川上流の津久井町青野原に疎開しました.
2年後のこの日に敗戦となりました.
高校まで横浜市の田舎で育ちましたが,なぜかマリー・キュリーの伝記を読み寒い北海道にあこがれました.
1963年(昭和38年)1年浪人して北海道大学理類に入学しました.当時は,理類に入学すると工学部,理学部,農学部などに進むことが出来,しかもそれぞれの学生の志望学科が優先され,第一希望が全て決まってから第二志望の募集をするという風でした.以来,札幌の気候,風土が気に入って住みついています.
北海道大学理学部地質学鉱物学科に進み,修士課程,博士課程に進みました.この間金属鉱床学講座で変質作用,鉱脈の研究,流体包有物の研究を行いました.主に,弘前市の西,岩木川上流の西目屋村の尾太鉱山に通いました.この鉱山は,中新世の緑色凝灰岩と流紋岩の境に形成された浅熱水性鉛亜鉛鉱床で,鉱脈ですが傾斜が30°ととても緩いのが特徴です.
博士課程中退で,地質コンサルタント会社に入社しました.
以来,地質調査に従事しています.北海道新幹線のトンネル調査,旭川市北方のダムサイト調査や原石山調査,北海道礼文島の地すべりの調査,北海道芦別市のトンネルの坑口地すべり調査,第二東名高速道路のトンネルの坑口調査,長野県諏訪湖周辺のトンネルの事前調査と施工中調査などを担当しました.
1983年(昭和57年)技術士(応用理学部門 土木地質)を取得しました.
1992年(平成4年)建設部門(トンネル)の技術士を取得しました.この部門の技術士取得に9年かかりました.
2002年(平成14年)総合技術監理部門(建設:トンネル)を取得できました。第1回の総合管理部門の試験でした。この時の経験論文は,諏訪湖周辺トンネルで発生した異常出水・切羽崩壊・地表陥没事故に対する対応でした。
結局,これまで手がけた調査は,トンネルがもっとも多く,ダム,地すべり,道路路線改良,岩盤崩落関係などですが,トンネルに関しては施工中の調査をずいぶん経験し,技術的にはそれが財産になっています.また,トンネルの維持補修調査も,けっこう手がけました.今後,維持補修調査は増加してくると思います.
最近は,トンネル坑口の地すべり調査によく当たります.また,付加体堆積物を人工改変した場合の地山挙動の不思議さに感心しています.
札幌手稲山の大ガレ場にて
2008年くらいから山登りを始めました.これまでは踏査で山を歩いていたので,それほど山登りをしたいとも思っていませんでしたが,踏査の機会が減り自然の中へ行きたくなりました.
この写真は,2009年8月に札幌の手稲山に登った時のものです.手稲山の南西斜面には氷期の凍結融解作用で出来たと思われる転石斜面(私は,かってに大ガレ場と呼んでいます)があります.扁平な石の上で昼寝をして帰ってきました.
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