野幌丘陵

(2016年4月7日作成)

 野幌丘陵は,札幌の東に拡がる標高115m以下の丘陵で,東西7km,南北21kmほどである.
 北は江別市上江別で石狩川の大曲流部に接し,東は千歳川を中心とする石狩低地,西は野津幌川あるいは厚別川がほぼ境界となっている.南は島松川より北として良いであろう.
 ここで,野幌丘陵の最高点とした竹山は,北広島市富ヶ岡の北広島リハビリセンター内にある三角点で,標高115.4m(42.954350N,141.533668E.地理院地図には三角点表示のみ)である.

 地形的には,標高97.1mの椴山(とど・やま)付近までは丘陵の東西から沢が入り込んでいて,丘陵中心部が分水嶺となっている.丘陵の東西の裾には瑞穂池(みずほ・いけ)や大沢貯水池などの農業用のため池が幾つか分布している.
 椴山は,北広島市西の里中学校の東100mにある三角点である.(443.009386N,141.525214E.地理院地図には三角点表示のみ)


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写真1 国道275号の千歳橋川付近から見た野幌丘陵
 地平線に見えるのが野幌丘陵である.南(左)から北へゆるく傾斜した丘陵で,標高は70m程度である.手前は千歳川.
 北広島市の裏の沢川から島松川までの東斜面は活褶曲と考えられているが,最近活動した形跡はない.


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写真2 秋の大沢貯水池
江別市の野幌総合運動公園のすぐ西にある貯水池である.林に囲まれたひっそりとした池で,水鳥が集まる.

野幌丘陵の地質

 地表で確認できる丘陵を構成する地質は主に第四系で,上位から次のようになっている.

江別砂層:古砂丘堆積物.支笏火山噴出物を母材とした軽石質砂.泥炭を挟む.
元野幌粘土層:数mm〜数cmの軽石を含み,泥炭質粘土を挟む陸成粘土層.
支笏火砕流堆積物:軽石流,降下軽石.
小野幌層:基底に安山岩礫層.主体は粘土,シルトで泥炭質粘土が挟在する.
もみじ台層:基底に安山岩礫層.細粒〜中粒の砂・礫.巣穴生痕が見られる.
竹山礫層:安山岩礫
音江別川層:基底に安山岩礫層.シルト・中粒砂でレンズ状に亜炭が挟在する.
下野幌層:基底に安山岩を主とする礫層.青灰色シルト・中粒砂の互層で亜炭を頻繁に挟む.
裏の沢層:巣穴生痕のある暗灰色シルト層,凝灰質シルト・砂互層,軽石質中粒〜粗粒砂,チャート・粘板岩などを礫を含む砂礫.

 丘陵を構成する最下位層である裏の沢層最上部の軽石層のフィッション・トラック年代は,約150万年前で前期更新世である.化石からは鮮新世〜前期更新世とされる.
 下野幌層は,前期更新世末〜中期更新世初期である.
 音江別川層からは温暖水系の貝化石群集が産出していることから堆積時期は中期更新世(78万年前〜13万年前)の温暖期と考えられている.
 竹山礫層は,含まれる礫が著しく風化し赤色土化していることから,最終間氷期(12.5万年前)以前には形成されていて中期更新世の寒冷期と考えられている.
 もみじ台層は最終間氷期に形成されたと考えられている.分布が異なるために音江別川層あるいは竹山礫層との層位関係は直接には明らかでない.
 小野幌層には洞爺火山灰が挟まれていて,最終間氷期末〜後期の堆積物とされている.この地層の泥炭層からは,3.3万年前の年代が得られている.この地層の粘土と砂は窯業原料粘土(せっ器粘土)として利用されている.
 せっ器(炻器)というのは,「素地(きじ)が硬く焼き締まった焼き物で,非透光性である点で磁器と区別し,気孔性のない点で陶器と区別する.茶器などのほか,土管・火鉢などの大型物に用いる.《(デジタル大辞泉)
 野幌丘陵のせっ器粘土は,明治30年代にレンガの製造に用いられ,その後,泥炭地の排水用土管,セラミックブロック,レンガタイルなどの製造に用いられてきた.
 含まれる粘土鉱物は,モンモリロナイト,カオリナイト,加水ハロイサイトなどである.
 元野幌粘土層は野幌丘陵北縁部の標高30m〜15mの段丘面上に分布する火山灰質粘土で,2.8〜2.9万年前に形成された.
 江別砂層は,丘陵北端の旧豊平川流路付近に分布する古砂丘堆積物で2.1万年前〜2.9万年前に形成された.

 これらの地層のうち,裏の沢層から音江別川層までは海生の貝化石が産出することから,野幌丘陵が離水したのは中期更新世以降で,丘陵北部では20万年前以降と考えられている.ただし,もみじ台層からも海生貝化石が産出する.

<参考文献>
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