オロフレ山は,洞爺湖と倶多楽湖の間にある標高1,231mの安山岩の山である。オロフレトンネルを通る道道洞爺湖登別線は道道2号で,旧道は昭和の初めに完成した観光道路であった。
オロフレ山の本体は「徳舜瞥図幅」で来馬山溶岩と呼んでいる普通輝石紫蘇輝石安山岩である。オロフレ展望台の登山口から標高1,000mの急登にかかる付近までは,斜長流紋岩質凝灰角礫岩となっている。この凝灰角礫岩の下位には同質の溶岩が分布していて,かつては褐鉄鉱鉱床(紫明川鉱山,徳舜瞥鉱山)や硫黄鉱床(オロフレ鉱山)があった。
長流川と登別の間の山地に分布する安山岩類の噴出年代は320万年前〜70万年前で,鮮新世後期から更新世中期に及んでいる(八幡,1992,69p)。
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オロフレ山の登山道は,このコースだけである。
道道洞爺湖登別線から案内板に従い旧道を行くと,オロフレ展望台に着く。広い駐車場がありトイレもある。この北東側に登山口と登山ポストがある。
この展望台から下を見ると一面変質した大露頭がある(上の写真)。5万分の1地質図幅「徳舜瞥」の説明書でカルルスス火山と呼んでいるものの側壁である。地形図を見ると,南西の来馬岳から北のオロフレ峠・羅漢岩そして南東の加車山と馬蹄形の地形が見事である。カルルス温泉付近には,カルルス湖成層が分布していて,この馬蹄形の地形に湖が形成されていた。その時代は,日和山溶岩円頂丘や橘湖アグルチネート(岩滓集塊岩)と同時代(4.5万年前〜1万年前)とされている。
オロフレ峠東側斜面の変質は,下に示したAを中心として累帯配列をしている(八幡,1992,77p)。
A:淡灰色珪化帯;石英+オパールA
B:淡紫灰色珪化帯;石英+明ばん石+パイロフィライトおよび石英+明ばん石+カオリン鉱物+黄鉄鉱
C:暗灰色珪化帯;石英+黄鉄鉱+アルバイト+カオリナイト±ディッカイト±明ばん石±石膏
D:白色粘土化帯;石英+アルバイト+黄鉄鉱+スメクタイト±カオリン鉱物
上に示した写真はB帯に相当している。
ちなみに,カルルス温泉付近は, 地下に中性変質帯であるワイラカイト帯があり,地表ではカオリナイトやスメクタイトが形成されている。
登山口からしばらく登り1,003mピークを過ぎて下りになった先の左手に断崖が現れる。オロフレトンネルのカルルス側坑口上部の沢である。
この付近の地質は,図幅では長流川累層の上位層である斜長流紋岩質凝灰角礫岩となっているが,露頭を見る限りあまり角礫を含んでいるようには見えない。変質はあまり進んでいなくて源岩組織を残した淡灰色の流紋岩である。
かなり変質の進んだ部分は,完全に白色化しているが石英は残っている。
頂上南の1,062mピーク手前にケルンを積んだ平場がある。この付近の登山道に落ちている石は安山岩である。しかし,1,062mピークの西斜面の登山道には流紋岩の露頭ある。このピークは,オロフレ山の安山岩溶岩(図幅では来馬山溶岩)で覆われていないようである。
このピークを過ぎた付近からは,典型的な輝石安山岩が出てきて山頂まで岩質は変わらない。標高1,050m付近からの急な登りは輝石安山岩の岩塊群である。
急登を過ぎるとすぐ頂上のように思うが,登って行くと2回ほど騙される。この日は,ほとんど眺望がきかず山頂からの景色を愉しむことは出来なかったが,短い時間でそれなりに愉しむことが出来た。
土曜日(2017年8月19日)ということもあったのだろうが,登っている途中で20人くらいの人に会った。人気のある山である。
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