プレート運動の原動力

(2016年2月2日作成)

大陸移動から海洋底拡大へ

 A.L.ウエーゲナーが<大陸と海洋の起源>を著したのは1915年で,去年は発行から100年にあたっていた。
 ウェーゲナーは大陸移動を観測によって実証しようとグリーンランドに渡り,そこで命を落とした。1930年のことであり,ウェーゲナーは50才であった。

 大陸移動説が直面した課題の一つは,何故大陸が動くのか,その原動力は何かと言うことであった。イギリスでもアメリカでも大陸移動説はアマチュアのたわごとと非難された。
 1920年代には,イギリス海軍のチャレンジャー号による海洋底の測深データによって大西洋を二分する幅広い中央海嶺があるらしいということが分かっていた。インド洋でもカールスバーグ海嶺が発見され,海嶺の真ん中が深い谷であることが分かってきた。

 1950年代初期に,コロンビア大学ラモント地質学研究所のB.ヘイゼンとM.サープは,海底を含む地球全体の高低図を作成した。この図では,大西洋中央海嶺を含む海底山脈が見事に描き出された。

 1962年,H.H.ヘスが<海洋底拡大>説を発表した。この論文は,引退するA.F.バディントンの記念論文集の招待論文であった(Hess.H.H., 1962, Historyof Ocean Basins.Petrologic Study: A Volume to Honor A.F.Budington, 599-620:ウェブで入手可能)。
 ヘスは,マントル内の熱対流が上昇してくる場であると考えれば中央海嶺の成因を説明できるとした。深海底にある山頂が平らな海山が,どうしてできるのかも海洋底拡大で説明した。
 ヘス自身は,この論文を「<地球詩>的随筆《と称したと言われている。

 ヘスは,第二次大戦中は海軍に所属し太平洋での音響測深に従事していた。1959年に非公式の手記として<海洋底拡大>を発表していてかなり広く読まれていたが,十分な証拠がないと批評されていた。
 ちなみに,<海洋底拡大> という言葉は,R.S.ディーツが1961年の論文で創作し,初めて使ったと言われている( R.S.Dietz,1961,Continental and Oceanic Differentiation. Nature, 194, (No.4779), 854-857) 。

 一方,1960年までには地球磁場が逆転することが物理的に可能であることを説明できるようになった。また,1954年にはカリウムの放射壊変による年代測定ができるようになった。
 この二つに技術によって,1965年までには400万年前までの磁気逆転年代尺度が確立された。

 R.メーソンとA.ラッフは,1955年にアメリカ西海岸の沿岸警備隊の船を使ってファン・デ・フーカ海嶺の磁化強度の測定を行った。その結果,海底の地磁気の縞模様が得られた。
 インド洋のカールスバーグ海嶺中央部の詳細な地磁気測量を行ったD.マシューズのデータを解釈した F.ヴァインは,海底地磁気の縞模様が地磁気の逆転を表しているという論文を1963年に発表した。
 これが海洋底拡大の決定打になった(F.J.Vine, D.H.Matthews, 1963, Magnetic anomalies over Oceanic Ridges. Nature, 199, (No.4897), 947-949:ウェブサイトで入手可能)。

 プレート運動の原動力を考える上では,海洋底で比較的高い位置にある海嶺が海洋プレートを押す力(リッジ押し力)と海洋プレートの下のマントルが引く力(マントル洩力)が問題となる。


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沈み込み帯

 大洋の中心付近に海嶺があり,そこで玄武岩質火成岩が形成され海嶺から遠ざかっていることが明らかになった。では,この火成岩を主とした岩石は大陸縁辺部でどうなっているのかと言うことが問題となる。
 当初,海洋調査での興味の中心は<非活動的海洋縁辺域>に向けられていた。例えば,グローマー・チャレンジャー号による深海掘削は,1977年の9月頃までは受動的縁辺域(非活動的海洋縁辺域)や海洋地殻そのものを対象に行われていた。

 1977年10月からの第56航海で初めて活動的海洋縁辺域での掘削が始まった。この航海には,岡田博有氏が共同主任研究員として乗船している。以後,故奈須紀幸氏,小林和男氏(元海洋研究所教授),上田誠也氏(元東大教授)などが共同主任研究員としてグローマー・チャレンジャー号に乗船している。

 余談であるが,これより前,1968年12月から翌年1月までのグローマー・チャレンジャー号の第三次航海に斎藤常正氏が有孔虫の専門家として乗船している。この航海では,南大西洋の中央海嶺を中心に9孔が掘削され,海洋地殻の年代が海嶺から離れるに従って一定の割合で古くなることが証明されている。

 日本列島の地震発生帯が太平洋側から大陸に向かって斜めに分布していることを発見したのは和達清夫とされている。和達は日本列島に沿って分布している外側地震帯と内側地震帯に交わる深層地震帯があると述べている(和達清夫,1927,深層地震の存在と其の研究。気象集誌,第2輯,第5巻,第6号,119−145:ウェブサイトで入手可能)。
 この時までに集まっていたデータから,この深層地震帯は若狭湾から伊勢湾に抜ける地峡地帯を通り八丈島付近に到るとしている(同 140p)。

 ヒューゴ・ベニオフが,海溝で海洋地殻が沈み込んでいて島弧が形成されていることを発表したのは1949年であった( Benioff, Hugo ,1949, Seismic evidence for the fault origin of oceanic deeps. Bulletin of the Geological Society of America, vol.60, no.12, 1837–1866.)。

 K.J.シューは,サンフランシスコの北にあるコースト・レーンジズ山脈に広く分布するフランシスカン帯の研究を行い,1967年の論文でメランジュを 定義した。また,メランジュは沈み込み帯の海溝斜面で形成されているとした。
 このことにヒントを得て,W.R.ディッキンソンは,島弧−海溝系の模式断面を示し,付加体を沈み込み複合岩体(subdaction complex )として示した(1971, Nature, 232, 41-42:1973, J. Geophys.Res., 78, 3376-3389)。

 九州大学の故勘米良亀齢氏は,学生時代に熊本県から宮崎県まで四万十帯の地質調査をしながら横断した。この時の印象は,<砂岩・頁岩ばかりで何かおかしい>というものだったという(西 弘嗣・酒井治孝,2009,勘米良亀齢先生のご逝去を悼む。化石,86号,89−90)。
 その後,四万十帯の研究に的を絞り,1975年に<四万十層群の形成場は現在の海底ではどのような所に対応するか?>(勘米良亀齢・坂井 卓,1975,GDP連絡誌,II-1-(1),構造地質,3,55−64)を発表した。これが,日本で最初の付加体モデルである。
 同じ年に,日本地質学会第82年学術大会で<四万十帯北帯と西南日本外縁との地質構造的対応>(勘米良亀齢・坂井 卓,1975,第82年学術大会講演要旨,81p)と題して発表を行った。
 1976年に岩波書店の<科学>の5月号と6月号に「過去と現在の地向斜堆積物の対応 I および II《を発表している。
 さらに,1977年には,<地向斜堆積物におけるオリストストロームとその認定>(地団研専報,no.20,145-159)を発表した。


kanmera_chishitdu_gakkai1975.jpg 図1 四万十帯と島弧−海溝系の比較
(勘米良亀齢・坂井 卓,1975,四万十帯北帯と西南日本外縁との地質構造的対応。第82年学術大会講演要旨,81p)
(上)宮崎県の耳川中流域では若い地層が下位にくる層序が繰り返し現れる。
(下)島弧−海溝系の地質断面モデル


 平 朝彦氏(現在,海洋開発研究機構 理事長)が四万十帯の調査を行い,四万十層群が典型的な付加体であることを発表したのは1982年である。
(A.Taira,H.Okada,J.H.Mac.Whitaker & A.J.smith, 1982, The Shimanto Belt of Japan:Cretaceous-lower Miocene active-margin sedimentation.  In:J.K.leggett,(ed),Trench-forearc geology.Geolo.Soc.London,Spec.Pub.,10,5-26:ウェブサイトから入手可能)

 沈み込み帯で形成される付加体については,陸上の調査と海底の調査がほぼ同時進行で進み,同じような概念が提唱された。

  沈み込み帯では,沈み込む海洋プレートが引っ張る力(スラブ引っ張り力),海洋プレートと大陸プレートの間で働く抵抗力(衝突抵抗力), 沈み込んだ海洋プレートがマントル下底で停滞するために生じる抵抗力(スラブ下端抵抗力),沈み込む海洋プレートの側面に働く引っ張り力(スラブ側面マントル洩力)などが作用する。

プレートは何故動くのか

 プレートの運動は,マントル対流の一部であると考えるのが自然なようである。
  つまり,プレートというのは,マントルが地球表層で冷やされてできた境界層のことで,この境界層が重力的に上安定になるためにマントル内へ沈み込んでいるのがプレートテクトニクスであると考える。

 地球表面と大気,あるいは宇宙空間との間では,熱伝導で熱が逃げていき地球表面は冷やされる。この地球表面と大気との境界に出来るのが熱境界層で,この境界層がある厚さになると力学的に上安定になり,地球深部へと沈み込んでいく。これが沈み込み帯である。
 もちろん,地球内部では放射壊変による熱が発生し,地球表面の冷却を遅らせている。地球表面での冷却と地球深部から熱供給のバランスによって地球の進化が規制されていると考える。

 常識的に考えると地質時代の昔ほど地球は熱かったので,プレート運動が活発であったと考えられてきた。しかし,地球が熱かった昔ほどプレートの生成から消滅までの時間が短かったという証拠は得られていない。
 その理由は,マントルが上昇してきて圧力が減少すると部分溶融が起こり,水が部分溶融したマントルから逃げてしまう。水を含まないマントルは,それまでより桁違いの高い粘性率を持ち動きが遅くなると説明される。

 最近の吉田の研究によれば,プレート運動と大陸移動の原動力は,スラブ引っ張り力だけでなくマントル洩力も大きな役割を果たしている可能性があるとされている。
 また,超大陸のパンゲアが分裂したのは,超大陸によりマントルの熱が遮蔽されたために,高温異常域が形成されたためと考えられるとしている。

 大陸移動説が発表されてから100年。発表当時から大きな課題とされていた大陸移動の原動力については,かなりのことが分かってきてプレート運動の原動力はスラブ引っ張り力であるとされてきた。
(D.Forsyth & S.Uyeda,1975, On the Relative Importance of the Driving Forces of Plate Motion. Geophys. J. astr. Soc.43,163-200:ウェブサイトから入手可能)

 しかし,様々な観測事実やシミュレーション技術の発展によって新たな発展が期待できそうである。
 今後どのような進展があるのか興味のあるところである。


参考にした図書など(興味ある順)



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