工学地質図

 (2009年1月8日作成/2014年9月4日修正)

 2008年3月にJIS A 0206として工学地質図が制定された.工学地質図は地質情報を土木や建築の基礎資料として利用しやすいように作成することを目的として作られるもので,これまでの地質図に「工学的地質情報」を重ね合わせる方法について述べたものである.
 地質図の役割についてあらためて考えてみたい.


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1.地質図の歴史

【ウィリアム・スミス】

 イギリスでウィリアム・スミスが「英国地質図」を出版したのは,1815年8月1日である.そのタイトルは,「イングランドとウェールズおよびスコットランドの一部の地層の描写図」と言うもので,400部が印刷され全てに番号が振られ,スミスの署名入りであったという(サイモン・ウィンチェスター,世界を変えた地図).

 地質図を出版する前,1800年前後以降のスミスは,沼沢地の排水事業で大きな成果を上げていて,農業土木技師として引っ張りだこであった.また,石炭調査や石炭運搬運河の工事にも携わっていた.これらの工事中にも地質調査を行い,サンプルを集め地層のつながりに注目していた(小林英夫,イギリス産業革命と近代地質学の成立).

 この地質図は産業の要求に応える中で地層の分布の規則性に注目して作られたものである.
 なお,スミスの地質図はウィキペディアで見ることができる.

【ベンジャミン・ライマン】

 日本では1876(明治9)年にベンジャミン・ライマンが「日本蝦夷地質要略之図」を作成したのが初めてとされている.

 ライマンはアメリカの鉱山技師で,ハーバード大学を卒業後ヨーロッパで地質学や鉱床学を学び,アメリカに帰国後は地質・鉱床調査に従事していた.開拓使の招きによって1973(明治6)年に37歳で来日し,北海道の地質・鉱床調査を行った.まず,東京にあった開拓使仮学校で11人の生徒に数学,物理学,測量学,製図,地質学,鉱物学の教育を行い,その年の春から秋にかけて生徒たちと共に北海道各地の地質踏査を行った.この踏査では主に石炭の調査を行い,茅沼や幌内の石炭露頭の詳細な調査をもとに埋蔵量を算出している.この石炭調査では,まず測線の伐開を行い地形測量を行って,炭層の分布を5,000分の1の地形図に記載している.当時の北海道の状況を考えると,ほとんど信じられないような作業でありスピードである.

 ライマン自身は1873(明治6)から1875(明治5)年までの3年間,北海道全体を巡り北海道の地質の概要を把握したとされている(松田,2008).

 この「日本蝦夷地質要略之図」は,北海道大学付属図書館の
<北方資料データベース>
で見ることができる.

【榎本武揚】

 一方,1872(明治5)年に牢屋から出た榎本武揚(この時37歳)は,開拓使四等出仕を拝命し,1873(明治6)年には空知川沿岸の石炭調査を行っている.
 榎本武揚は1875(安政4)年に長崎海軍伝習所の幕府伝習生となり,ここでカッテンディーケから地文学(自然地理学)を学んだとされている(吉岡,2008).
 さらに,オランダ留学中にイギリスに渡り炭鉱を見学していると考えられている.これらの経験と知識が開拓使としての調査に生かされていると考えられる.

 榎本は,1875(明治8)年,「樺太千島交換条約」の特命全権大使(初代駐露全権公使)として,ロシアのサンクトペテルブルクで条約を締結した.この帰り,1878(明治11)年7月から翌年9月までかけて,サンクトペテルブルグからウラジオストックまで横断した.この旅行で,榎本は何カ所かの砂金場を見ている.

 このように,日本での地質調査,地質図作成は石炭や金属鉱床の開発の必要性から始まったと言ってよい.

【地質図Navi】

 現在は,これまでの「20万分の1シームレス地質図」に様々な機能を付加し全国を網羅したシームレス地質図が「地質図Navi」として公開されている.
<https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php>

 この地質図の特徴は,全国統一凡例で作成されていることである.これまでは,主に5万分の1地質図幅が整備されてきたが,この図幅では隣との整合性がとれていないことがあり,作成年代の違いによって地質の解釈が異なるなど,使用するには不便であった.

 この地質図では全体から細部まで拡大・縮小ができ,やや離れた地域でも同一の凡例で対比できること,新しい情報が盛り込まれていることなど信頼性の高いものとなっている.

 さらに,50万分の1から5万分の1までの既存の地質図も見ることができる.

2.地質図の規格化

【JIS A 0204など】

 2002(平成14)年7月20日付で地質図に関するJIS規格が制定された.最新の改訂は2012年6月で,新第三紀と第四紀の境界を改めるなどしている.

 JISA0204は2002(平成14)年に地質図の記号,色,模様,用語および凡例表示を統一するために制定されたものであるが,2008(平成20)年に地質図を利用する分野でのデータ処理と高度利用を可能にするために改正された.

 JISA0205は地質図の数値化に対応するため,広い利用が想定されるベクトル数値地質図について品質を確保する事項について制定したものである.

 JISA0206は工学地質図に用いる記号などの表示とコード群を制定したもので,これまでの地質図という用語に代わって「工学地質図」が用いられている.

 工学地質図というのは,
「土木及び建築構造物の調査,設計及び施工,維持管理などで利用することを前提に,地質図上に工学的地質情報を重ね合わせて表示した図。」(JISA0206 用語及び定義)
である.

 ここで,工学的地質情報というのは,「工学的判断に必要な地質情報。例えば,風化,変質,岩盤分類,物性値など。」(同上)とされている.

【地質図の電子化】

 地質図の電子化は地質成果を高度に利用することのほかに,国際標準化も大きな要因となっている.
 1995年に発効したWTO・TBT(World Trade Organization・Technical Barreirs to Trade)協定では,加盟国に対して法律で定められ守ることが義務づけられている規格(強制規格)や適合性評価手続きに関して,原則として国際規格(ISO/IECなど)にもとづくことを義務付けている.これによって,国際的な情報や物品の流通をスムースに行えると考えるからである.

 外国の建設業者が日本の公共事業に参入したり,日本の建設業者が海外の事業に参加する基礎ができることになる.

3.地質と土木を結ぶ地質図

 「工学的地形地質図」という考え方はかなり早くからある(例えば,今村,1976,1977).
 この趣旨は,静的地質図から動的地質図へということで,標準化とは別の考えに基づくものである.

 どういうことかというと,構造物に直接影響を与えるような「きわめて局所的な侵食や堆積といった営力」(今村,1976)によって「建設中や建設後に発生する可能性のある動的地質現象の予測に関する情報」(同)が必要であるということである.

 このような考え方を具体的にしたものの一つが,各高速道路株式会社の「調査等共通仕様書」(例えば,http://www.e-nexco.co.jp/bids/info/doc.../h2407_gen_spec_research.pdf)に規定されている「土木地形地質図」であろう.

 この調査等共通仕様書(平成24年7月)では
 「土木地形地質図とは、道路の計画・設計・施工などに必要な地形・地質面からの基本情報を図示した平面図を言い、この図面には、必要に応じて次の事項などを表示するものとする。」
として,問題となる地層・地質分布以下,落石の恐れ,代表的な露頭の位置などまでを列挙している.

 土木分野の人が,意外とその怖さを知らないと感じるのは地すべりである.どんな構造物で抵抗したとしても抵抗しきれない地すべりというのがある.一般的には,必要抑止力が4,000kN/mを超えると大規模な抑制工,抑止工が必要で,対応が困難な場合が多いので,路線計画の変更も含めて検討するとされている(例えば,道路土工 切土工・斜面安定工指針(平成21年度版),374p).

 地すべりのやっかいなところは,地すべりのどの部分で土工を行うかによって地すべりの安定度が違ってくることである.つまり,地すべりとしての範囲−縦断方向,横断方向−を確定することがまず重要である.ある程度の訓練を積んだ地質技術者であれば,これはそれほど難しいことではないが,地すべりブロックの判定を間違えて工事で滑らせた事例は多い.

 その情報をどれだけ土木分野の人に正確に伝えることができるかが,地質技術者に求められていると感じる.その時に,重要なのはできるだけ初期の段階で地すべり地形を把握し,人口改変を行うことによって斜面の安定度がどのように変化するか,抑止工で対応可能か,路線変更を考えなければならないかを判断することである.そして,概略でよいからどの程度の規模の対策工が必要となるのかを伝えることである.

 このような情報の受け渡しの基礎となるのが「土木地形地質図」あるいは「工学地質図」であろう.

 JISA0206で工学地質図の規定はされたが,その内容についてはこれからの業務の中で練り上げ,設計・施工だけでなく維持管理の基礎資料としても活用できる内容としていく必要があると考える.

参考資料

■今村遼平,1976,静的地形地質情報からの土木地質に必要な動的地質情報の把握に関する研究(I).応用地質,17巻,1号,20-33.

■今村遼平,1976,静的地形・地質情報からの土木地質に必要な動的地質情報の把握に関する研究(II)−柱石段丘から読み替えられる現象−.応用地質,18巻,3号,1-18.

■今村遼平・島博保・清水恵助,今求められている「工学的地形地質図」のあり方について.応用地質,44巻,1号,56-65.

■ウィンチェスター,S.,2004,世界を変えた地図 ウィリアムスミスと地質学の誕生.早川書房.

■鹿野和彦,2008,地質図関連JISの改正と制定 さらに進展した地質情報発信の基盤整備.産総研TODAY,2008-9,p23.

■講談社編,2008,榎本武揚 シベリア日記.講談社学術文庫.

■小林英夫,1988,イギリス産業革命と近代地質学の成立.築地書館.

■日本工業規格,JIS A 0204 地質図−記号,色,模様,用語及び凡例表示.2002−制定,2012−最新改正.

■日本工業規格,JIS A 0205 ベクトル数値地質図−品質要求事項及び主題属性コード.2008−制定,2012ー最新改正.

■日本工業規格,JIS A 0206 地質図−工学的地質図に用いる記号,色,模様,用語及び地層・岩体区分の表示とコード群.2008−制定,2013−最新改正.

■東日本高速道路株式会社,2012,調査等共通仕様書.

■吉岡 学,2008,日本地質学界の先達【学理と技芸の狭間で】.榎本隆充・高成田亨編 近代日本の万能人 榎本武揚,215-233.

■松田義章,2008,ライマンの北海道地質調査とその前後.ライマンと北海道の地質点実行委員会・北海道大学総合博物館,ライマンと北海道の地質−北からの日本地質学の夜明け−,21-28.(図録)


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