石狩川(2)−岡崎文吉の功績−


↓本庄陸男の小説「石狩川」の碑の全景

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 札幌大橋の当別川の河岸に建つ文学碑である.背後には水田と牧草地が広がっている.


↓本庄陸男の小説「石狩川」の碑

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 この日は昭和37年(1962年)7月に建立された.
 本庄睦男は明治38年にこの碑の建っている所から数百m北西の当別町太美ピトエ(現美登江)番外地で生まれた.昭和14年4月に「石狩川」は刊行されたが,その2ヶ月後に東京の自宅で死去した(文学碑「石狩川」説明書板より).
 「石狩川」のあとがきの中で本庄陸男は次のように述べている.

 おこがましくも作者は『石狩川』の興亡史を書きたいと念願した。川鳴りの音と漫々たる洪水の光景は作者の叙情を掻き立てる。その川と人間の接触を、作者は、作者の生まれた土地の歴史に見ようとした。その土地の半世紀に埋もれた我らの父祖の思いを覗いてみようとした。(攻略)(「石狩川」新日本文庫 より)

 さらに,あとがきの中で本庄は,「一先ず作者はこれを『石狩川』の初編として上梓しつづいて、これら移住士族のその後の過程を書き進める予定である。」と述べているが,これは叶わなかった.



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石狩川の大洪水と岡崎文吉

 石狩川は長大な河川であるために多くの水害が発生してきた.特に,明治31年(1898年)の北海道全体の大洪水(死者248人)と明治37年6月と7月の石狩川の大洪水は洪水調査と対策の進展を促した.
 石狩川治水の祖と言われる岡崎文吉(1873年〜1945年)は,明治37年の洪水のあと精力的に調査を行い,明治42年(1909年)10月に「石狩川治水計画調査報文」を北海道庁長官に提出した.
 岡崎文吉は1915年の土木学会誌で「原始的河川ノ処理ニ就テ」という論文を発表した.岡崎文吉が「自然主義」という独自の治水論を展開した河川技術者(中井祐,2004)と呼ばれる考え方の要点は,「第二節 (二)自然状態」の中で述べられている(太字部分).

 明治37年の洪水では美唄川,幾春別川の合流点付近下流で氾濫区域が大きく広がり,長沼町,当別町も氾濫区域に含まれた.岡崎文吉らの調査によれば,この洪水の氾濫貯水量は最大240億立尺(6,720万m3であったという.この貯水量は石狩川最上流にある大雪ダムの総貯水量にほぼ匹敵する.岡崎は,「本支川の流量は大部分之を広大なる原野に氾濫し長約二十五里(100km),幅十餘里(40km程度)の間に一時的一大湖を現出せしむ」と述べている.
 この論説では,氾濫貯水量算定のための横断面測量や結氷時の氷の下の河川流量測定の苦労などが述べられており,当時の筆者等の意気込みが感じられる.

   現在の石狩川は改修により直線化が進んでいる.これに伴い,浚渫を行い河床を低下させ,堤防もきわめて緩い勾配で造成して急激な水位上昇を抑えている.このことによって,利用しにくかった泥炭地を含め石狩川低地は一大農業地となっている.

 以下,岡崎の論説の要点を抜粋して示す.なお,原文は仮名交り文で,句読点はほとんど用いられていない.文の切れるところはスペースで示した.また,どうしても読めないと思われる漢字には括弧で振り仮名を付けた.
 新技術コンサルの「目で見る水害レポート,2000年7月NO2」は,この時の雨の降り方や水害の状況がよく分かる報告書となっている.明治37年7月洪水では渡島半島北部から旭川の北までの広範囲に被害が発生した.


参考文献

岡崎文吉,1915,論説 原始的河川ノ處理ニ就テ.土木学会誌,第一巻 第六号,一−三八,大正四年十二月.
(http://61.199.33.80/Image_DB/mag/m_jsce/01-06.html で見ることが出来る.)

中井祐,2004,学会誌に刻まれた技術者の精神(エンジニア・スピリッツ)4 岡崎文吉「原始的河川ノ處理ニ就テ」第一巻第六号,1915(大正4年)12月.土木学会誌,Vol.89,4,表紙及び裏表紙記事.

(株)シン技術コンサル,2000,目で見る水害レポート−石狩川 明治37年−相次ぐ洪水の襲来.(http://www.shin-eng.co.jp/product/kasen/report.html)


↓石狩川と豊平川の合流点

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 右から流れてくるのが豊平川で,左に拡がるのが石狩川本流である.豊平川の両岸には狭いながらも河畔林が設けられている.


↓石狩川と豊平川の合流点付近の護岸工

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 岡崎文吉が考案した四十二年式鉄筋混凝土単床と思われる護岸工.石狩川と豊平川の合流点の右岸(西側)に設置されている.表面は摩耗しているが,充分に機能は果たしている.施工されたのがいつかは不明である.


論説 土木学会誌 第一巻 第六号 大正四年一二月

原始的河川ノ処理ニ就テ

工学博士 岡崎文吉

緒言
第一章 総叙
第一節 原始的河川の意義
原始的河川とは舟筏の航行を容易ならしめ若しくは洪水氾濫を防御する等其の目的の何たるかを問わず未だ曾て護岸、水制、捷路、堤防等の如き水理工事を加えず天然のままに放任せられたる河川を称す

第二節 原始的河川の処理に関する特殊の要点

(一)氾濫
若し氾濫水は原野上に貯留せられつつ尚同時に河道外に於いて若干の流量を興うるものとせば謂ゆる現実の洪水全流過量には斯る河道外数里に亘る広義の横断面に属する流量をも測定して之を加算せざる可らず

(二)自然状態
原始的河川を通観するときは其平面の形状に於て一般に蜿蜒(えんえん)迂曲すと雖も乱流区域を除くの外流路概ね単一にして河底水深共に深きが故に舟航其の他の水運に対し良好なる水路を興え且つ洪水に対し侮る可らざる流過力を有するを常とす 何となれば一面に於て河道の迂曲のため水面勾配を緩ならしめ流過力を殺減するの傾向あるも此の不利益は一面に於ては水深即ち水理半径及横断面積の大なることに依り能く補償せらる丶が故なり

原始的河川の自然状態斯くの如く良好なるを以て之に処するの方法は成る可く自然状態を保存して其不良に陥るを防ぎ偶々自然に存在する局部の不良なるものは其付近の実地において自然が示せる模範状態に鑑みて之を修正し要するに自然を教師とし単に自然を補助維持するに止むるを以て急務とし之れに甘んずるを以て足れりとす
近世水理学は餘りに極端に趨り河川に対し過度の矯正を行い河川を恰も一定の流量を疎通するの目的を以てする運河の如き形状に改造せんとし或る程度に河身を狭窄し凹岸に接近せる澪筋を平行堤突堤の如き縦横工の作用により対岸に退却せしめ殆ど根本的に天然河川を改造して寧ろ単純なる学理上の要件に一致せしめんと計りたりしも多くは予想通りの結果を得ること能はず結局多額の費用を投じて猶且自然の現状以上に改良の実を挙ぐるを得ざることを覚るに過ぎず


従来莫大の工費を投ぜざる限りは曲率の大なる凹岸に施工したる護岸工事の成功したるもの尠し 斯る場合に処する護岸工法の困難なるは蓋し近世均整水理家が曲流を忌み之に代うるに直流を以てせんと主張せし理由中の一たらずんばあらず 畢竟従来屡々試みられたる護岸の工法は其実態の堅牢なると同時に屈撓性を具備せざりしがため十分に其の目的を達し得ざるが故に往々直流代用の弊害に陥りしもにあるを以てこの缺陥を補い当面の要求に応じ斯る弊害を救済せんが為に著者は曩きに(さきに)原始的河川の護岸工法として四十二年式鉄筋混凝土単床を提案し之を北海道の各地方に実施したり
要するに該式は半ば試験的の意味を以て実施せるものにして未だ最後の断案をくださ丶るも低廉にして能く堅牢性と屈撓性とを具備し少くも曲率大なる凹岸の護岸に適当なる半永久的の工法と見るを得べし

(三)流木
流木は原始的河川の良好なる河道に障碍を興うる主なるもの丶一にしてその根源は決潰箇所の河岸に生育せる樹木にあり
流木は夫れ実に原始的河川の固有物なり 今若し全流路を通じ決壊状態にある河岸に護岸工事を施すとせんか以て流木の根源を絶滅せしむることを得べきは勿論なり

(四)河岸の原生林
河岸に繁茂せる原始林が原始的河川の荒廃を防ぐ所以を挙ぐれば
一 原生林地に密生せる樹草の根部は恰も海綿状に彌蔓して土壌を纏縛し能く河流の洗掘作用に抵抗せしむるが故に河岸の崩壊及び洪水時沿岸環流部に於ける地頸を溢流して自然捷路を開鑿せんとする傾向を軽減す
二 河岸に密生せる樹草は幹茎枝葉等にて溢流の流速を減じ其破壊力を弱むるは勿論濁水に対し濾過作用を呈し其含有物を沈殿せしむ
三 河岸に密生せる樹草は恰も墻壁(しょうへき)の如き作用をなし流水を誘導し之を河道内に集中せしめ河床に対し洗掘力を増進し流路の自治能力を発揮せしむ
即ち原生林は河川の現状を維持するために必要なるものにして之れが荒廃は延て河川の荒廃を惹起するものなるが故に沿岸既存の原生林は単に之を維持するに止めず充分保護を加えざるべからず

第二章 河川氾濫に関する理論及其応用
第一節 氾濫流量と氾濫貯水量との区別
氾濫流量とは河道の一般方向に対し直角なる横断面内において河道の部分を除去し河道外の平地上を流下する一秒の流量を称し(以下略)
氾濫貯水量とは河道より流出したる河水にして両岸後方平地上に漲溢し或瞬時に地上に現存せる水量を称し(中略)氾濫貯水全量は同瞬時に於ける区間貯水量を合計したるものにして即ち全浸水区域内に現存せる貯水量とす

第二節 氾濫貯水量
氾濫貯水全量は河道外に河水の氾濫し始めたる時を起点とし次第に水位の上昇に伴い其数量を加え若干時を経過し最大量に達したる後次第に減じて沿岸氾濫の終期に至りて止むを普通とす

第三節 氾濫流量
許容すべき程度に正確なる氾濫流量曲線を制定せんとするに當り吾人は左記事項を仮定す 一 地上を溢流せる流水の横断面形は二次式抛物線に近似するものとし其頂点は河岸の地面高より稍下方に位す
二 実際に於て認識する如く本川水位未だ河道満水面に達せざるに河岸平均地面高より低き後方低地は既に若干の溢流水が下流に向い流下するものとす 第四図は千九百四年七月洪水時石狩川本流中主要なる水位観測箇所及重なる支川の流量図表にして時日を横線に各観測箇所の流量を縦線に記入し一目して本支川同時流量を知るに便ならしめ各曲線は符号により其所属箇所を識別す

第四節 平均流量、氾濫流量、洪水全流量の算定及将来に於ける洪水量の想定
今対雁神居古潭間全区域に亘り改修工事を施工したるものとすれば将来流下すべき最大洪水量は浸透蒸散を論外とし同所間最大氾濫率二十二萬七千立尺及之に相当する時日に対雁を流下したる流量七萬千立尺を加えたる二十九萬八千即約三十萬立尺に達すべきを想定し得べし
以上計算は千九百四年七月洪水を標準にしたるものなれども降雨の分布強度及土地の状態等を異にしたる時は前記計算数に差異を生ずべきことは素より言うを俟たず

第五節 氾濫貯水量に対する河岸の収容力
河岸の一般方向に測りたる沿岸単位距離に於ける氾濫貯水量は自然の地勢による浸水断面の形状大小及び該箇処に於ける洪水面の高により増減し洪水水位上昇の比即ち速度は浸水断面の形状大小及洪水烈度に関係す
石狩川洪水時沿岸数里に亘り左右氾濫したる場合の如き沿岸距離一里に於て水位一尺の上昇は著しき収容力を示せり

第六節 河川改修に當り沿岸氾濫量の影響
即ち改修工事施行の結果として水位の低降は貯水作用を消滅せしめ該区域下流の洪水量は改修前に比し増加するが故に河道内の流過力を増加し之を補填するの必要あり

第七節 河道外流量に適用し得べき粗率Nの算定
・・・Nなる粗率は平均0.253にして断面平等なる河道内の流路正しき箇処に於ける粗率Nの数値に比し十倍大なることを見出せり 上記Nの値は必ずしも他の場合に適合しうることを期し難きは勿論なり

第三章 増水中の流量対減水中の流量
第一 一般の予想 ・・・然れどもこの差異たるや一般に人工を加えざる河川にありては僅少の範囲に止まるものなり
第二 実測 石狩川に対し前述の影響範囲を確認するため千九百四年(明治三十七年)及千九百七年(同四十年)に月形及対雁の両観測所に於て実測を行いたる結果によれば増水中の流量を百パーセントとすれば減水中の流量は平均月形にては九十四.七四対雁にては九五パーセントとなれり 斯の如くその差異は比較的に小なるを以て仮に之を不問に付するも一般に考えらる丶如く著大なる範囲の誤差に陥ることなかるべし

第四章 結氷季の流量
・・・是等の横断面を比較研究するに結氷時の水位と流量との間には平時の水位と流量との如き何等の関係を存せざるもの丶ごとし

第五章 結氷下の河流に対する粗率係数
・・・予期に反し却って土砂の場合に於ける粗率係数の値たる0.025より往々大なることあり 此は恐らく結氷の裏面が期待する如く平滑ならずして寧ろ不規則なる形状を呈すること及偶河流内の底氷及フラジルの停滞することによりて流路を不規則ならしむるによるなる可し


(2005年5月1日)
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