野付半島

 (2017年7月20日作成)


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野付の風景

概 要

 野付半島は,南の根室半島と北の知床半島に挟まれた海岸に形成された砂嘴さしである。標津市街のやや南から東南東に延びていて,茶志骨川の海への出口を塞いでいる。延長は約26kmあり,8列の分岐砂嘴が認められる。
 ススキの穂のような優美な姿は魅力的である。この砂嘴が,いつどのようにして出来たのかは,興味のある問題である。


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図1  グーグルアースで見た野付半島
 野付半島は,根室半島と知床半島の間の海岸からススキの穂のような形で伸びている。知床半島と国後島の間を通ってきた海流が「くの字」に曲がり,国後島との間の狭い部分を抜けるところに野付半島が形成されている。
 日本海を北上してきた対馬暖流は,宗谷海峡を通ってオホーツク海に入り,宗谷暖流となってオホーツク沿岸沿いに南下し,狭い根室海峡から太平洋に出て行く。夏には最大3ノット(約5.4km/hr)の流速となる。
 地理院地図で見ると,野付半島対岸の国後島西南端のノツエト崎は小規模であるが,分岐を持つ砂嘴である。また,国後島東南端のケラムイ崎も砂嘴と思われる。  

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根室海峡の海底地形

 根室海峡は,北の知床半島と国後島の間は最大水深が1,000m以上あるのに対して,標津町・忠類川河口付近から南には水深20mより浅い海底が広く分布している。
 8,000年前くらいまでは,根室海峡の野付半島付近は陸地であった。その時代の地層が,尾岱沼の野付中学校の海側の崖に露出している。


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図2 根室海峡の海底地形(森 文洋ほか,2010)
 知床半島先端付近の沖合は水深が2,000m以上ある。羅臼沖付近から急激に浅くなり,標津沖付近からは水深20m以下となっている。地盤変動があるので単純には言えないが,8,000年前くらいまでは野付半島付近は国後島と繋がっていた。


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図3 根室海峡海底の地質と同じ露頭の全景
 尾岱沼漁港の南,野付中学校付近の国道下にある露頭である。おおよそ10,000年前以降の地層を見ることが出来るとされている。


図2 野塚中脇の露頭.jpg
図4  根室海峡海底と同じ地質露頭
 有機質の粘性土と火山灰質の砂質土からなる。中央の黒褐色の地層は凹地を埋めた有機質粘性土である。材木の化石が大量に含まれている。

野付半島の地形

 野付半島は付け根から野付ネイチャーセンター付近までは東南東に延びている。ネイチャーセンター付近から大きく湾曲して,先端の荒浜岬ではほぼ180度方向を変えている。
 松下ら(1967)および高野(1978)は,野付崎の分岐砂嘴をa〜iの9つの尖岬せんこうに分けている(図5参照)。

(高野,1978による)


図5 エドチ岬の立ち枯れ林.jpg
図5 エドチ岬の立ち枯れ林
 エドチ岬(尖岬b)の付け根に拡がる立ち枯れ林である。一度樹木が生えたが,地盤沈下により海水が浸入して木が枯れたことを示している。
 なお,分岐砂嘴へ立ち入るには許可が必要である。


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図6 オンネオンニクル岬付け根の火山灰
 オンネオンニクル岬付け根の道道南側の露頭で,白く見えるのが駒ヶ岳と樽前の火山灰である。ここは早く離水したため火山灰の上の腐植土が厚い。この露頭の道路を挟んで海側肩部に標高4.3mの三角点がある。

 野付半島の地形は現在も消長を繰り返していて,1923(大正十三)年の海岸線と比べて現在の荒浜岬の海岸線は先へ延びている。
 竜神崎灯台沖の南東には水深5m以下の高まりが,長さ7kmほど伸びている。一方,野付半島ネイチャーセンター付近の北東には半島に沿って深度20m以上の窪みが,長さ5.5kmほどで見られる(図8参照:高野,1978のFig.1)。
 これらは,野付半島が現在も姿を変えつつあることを示している。


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図7 野付半島の主な地名
 野付半島の先端部は現成の砂嘴が形成されている。トドワラから半島付け根の砂嘴は,現成の砂嘴と鋭角で交差していることから,現成の砂嘴によって切られていると想定される。


図8 野付崎周辺の海底地形図.jpg
図8 野付崎周辺の海底地形(高野,1978に着色)
 野付半島が大きく曲がる付近から南東に水深5mより浅い地形が見られる(茶色)。竜神堆と呼ばれていて,一番浅いところは水深1.8mである。
 北東には同じく20mより深い凹地が半島と並行に分布している(青色)。この凹地の最大水深は28m である。 野付半島周辺は,浸食,堆積を現在も行っている。
 この元図は,海上保安庁が持っている1926年と1932年の図で,2005年発行の「野付水道付近」海図ではやや異なった水深となっているが,大まかな傾向は変わらない。

野付半島付近の地盤変動

 野付半島の形成は海水準変動と結びつけて議論されている(高野,1978)。しかし,この付近の水準点データから求められた最大90年間の地盤変動速度は,年平均12mmの沈下である(山下・前原,2012)。つまり,この沈降速度であれば,例えば,300年で3.6m 沈下することになる。
 しかし,17世紀以降に離水したと考えられる荒浜岬の浜堤の高さは平均して1.3mであるので,年4mmほど上昇していることになる。

 観測データからは,かなりの速度で野付半島は沈下している。しかし,より長期的に見ると上昇している。この矛盾は何なのか。

千島海溝の巨大地震

 この20年ほどの津波堆積物研究で,道東では約500年間隔で巨大地震が発生していることが明らかになった。
 例えば,根室市ガッカラ浜では,海食崖に4,000年前までの津波堆積物が12層残されている。この崖は背後に湿地があるため,津波堆積物は泥炭に挟まれている。また,樽前山などの火山灰が挟まっていて年代値を与えてくれる。

 道東ではこのような巨大津波の堆積物が各地で検出されている。
 大きな被害をもたらした1952年および2003年の十勝沖地震津波の津波堆積物は検出されていないことから,これらを大きく上回る地震が発生したことは明らかである。

 このような巨大地震によってどのような地盤変動が生じたのかは,詳細には解明されていない。


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図9 根室市ガッカラ浜の津波はぎ取り試料  
 約1mの範囲に17世紀から4,000年前までの津波堆積物と泥炭層そして火山灰が保存されている。
 一番上にある淡黄白色の2層の火山灰は,1739年の樽前火山の降下火山灰(Ta-a)と1694年の駒ヶ岳の降下火山灰(Ko-c2)である。この火山灰とその下の津波堆積物(Ns1)との間には,ほとんど泥炭が形成されていない。
 Ta-c火山灰の下のNs9層には,遡上した津波が停滞した時の堆積物と考えられる細粒層(マッドドレープ)が挟まれている。
 なお,泥炭の年代は,放射性炭素年代である。"2.3 cal ka" と言うのは,暦年代で2,300年前という意味である。この場合の起点は1950年である。

野付半島の魅力


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図10   トドワラ その1
 


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図11  トドワラ その2


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図12  シバナ
 塩性湿地に生えるシバナ(塩場菜)の群落である。7月初旬には,花はほぼ終わっている。


図13 アッケシソウ.jpg
図13 アッケシソウ
 アッケシソウの若芽である。群落はつくらないそうである。


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図14    エゾツルキンバイ


図15 野付半島ネイチャーセンター.jpg
図15  津波避難タワーから見た野付半島ネイチャーセンター  
 野付半島が大きく湾曲を始める場所にある。トドワラに行く遊歩道の出発点で,知識の豊富なガイドが説明をしてくれる。
 詳しくは,( http://notsuke.jp )。

参考にした図書など(あいうえお順)

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