手稲山は札幌市街の西北西にある標高1,023mの山である.「手稲山 夕焼け小焼けのするところ」と北海道大学のストーム歌に歌われていて,特に札幌の平野に住む人にとっては,藻岩山よりもなじみのある山であろう.
神居古潭渓谷を出た石狩川は南西に流下して,江別付近でほぼ直角に曲がって北西に流路を取り石狩湾に注ぐ.石狩川の流路を遮っているのが札幌の西にある手稲山などの古い火山である.これらの火山は,1,000mほどの定高性のあ山地を形成していて,平坦面溶岩あるいは平坦溶岩と呼ばれていた.
札幌西部山地は,中新世末から鮮新世初めまではハイアロクラスタイトや砂岩泥岩などが堆積する海の環境であったが,鮮新世の初め頃から陸化し陸上火山が活動を始めている.手稲山が370万年前,藻岩山が235万年前〜285万年前,春香山が380万年前,朝里岳や白井岳はやや古く660万年前〜760万年前,無意根山が300年前,狭薄山(さうす・やま)が220万年前,札幌岳が120万年前,もっとも新しい活動は空沼岳の80万年前である.
手稲山の見どころは,北東斜面の大規模な岩屑なだれと南西斜面の岩塊群,山頂を構成する手稲山溶岩である.
登山道は,星置ノ滝から入る「滝ノ沢コース」,手稲本町から入る「北尾根コース」,発寒川上流の平和ノ滝から入る「平和ノ滝コース」がある.
ここでは,平和ノ滝コースから山頂へ行き,サッポロテイネスキー場を降りるコースを説明する.
琴似発寒川が山地から出て宮城沢と合流する手前にあるのが平和ノ滝である.滝をつくっているのは中期中新世頃(1,600万年前〜1,200万年前)の変質岩山岩で,「銭函図幅」では銭函層群・手稲層の「発寒川変朽安山岩」としている.宮城沢の北西にある阿部山の山腹には,かつて札幌鉱山があり金銀の探鉱が試みられた.
登山口は平和ノ滝の上流側にあり,琴似発寒川に沿って登って行く.送電線の下を通って山道にかかる付近からは,張碓層群・烏帽子岳安山岩質「集塊岩」となる.この「集塊岩」は手稲山南東の永峰沢付近で安山岩溶岩と指交関係にあるとされている.
登山道は,やがて琴似発寒川から分かれ,布敷の滝のある沢沿いを登って行く.標高750m付近に溶岩流の崖があり,その下に岩塊群が散在している.
この岩塊群は,地理院地図の「情報リスト>空中写真・衛星画像>最新」で見ると,山頂から南東に延びる尾根の南西斜面に転々と分布しているのが分かる.
この岩塊群の中を登り切ると,テレビ塔の林立する山頂尾根である.山頂は南東にゆるく傾斜した緩斜面である.この緩斜面は溶岩の流れた面であろう.
平和ノ滝コースの最大の見どころは岩塊群であった.これほど身近に崩壊した岩塊群を見ることのできる場所はあまりない.
頂上にはテレビなどの送信用のアンテナ群があり,車が通れる作業用道路が付いている.この作業用道路の切り割りで安山岩の露頭を見ることができる.
何と言っても北東斜面は巨大な岩屑なだれ堆積物の斜面である.頂上直下から標高650m付近までが滑落崖で,それより下は岩屑なだれ堆積物の分布域である.末端は人工改変で明瞭ではないが,ほぼJR函館本線の線路付近までである.
このほかに,岩屑なだれ堆積物を覆う支笏カルデラの火山灰,岩屑なだれ堆積物中の岩塊,国道5号へ降りて行く道路の手稲橋付近の西野層の火砕岩などがあるが,植生に覆われるなどして現在では見ることが難しい.
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