↓藻岩山からの札幌市街
中央の緑は中島公園.その向こうに豊平川が見える.中島公園と豊平川が接するところに幌平橋がある.
遙か彼方の緑に霞んでいる付近は石狩川に沿って延びる石狩平野.
↓幌平橋(1)
幌平橋の下流側.こちら側は歩道と展望広場となっている.
この橋の桁の色を写真で正確に出すのは難しい.独特の色で微妙に反射する.
↓幌平橋(2)
上流側は車道のみであるため平滑な造形となっている.
↓親水公園
山鼻川が豊平川と合流する地点に造られた公園.
正面に見えるのはミュンヘン大橋.
↓山鼻川の巨石積み護岸
両岸には遊歩道が整備され,それなりにくつろぐことが出来る.
↓山鼻川と藻岩発電所放水口
水が流れている左側のトンネルが発電所の放水口.左の階段工は本来の山鼻川.発電所の上流では山側は自然斜面で自然河川に近い状態となる.
↓藻岩橋
真駒内川に沿って北上する道路で豊平川を渡って国道230号(石山通り)にぶつかる.豊平川堤防道路の南の端がこの橋である.
↓藻岩上の橋
藻岩橋のすぐ上流にある人道橋.昭和50年(1975年)2月しゅん功の4径間鋼橋.
↓五輪大橋
国道230号と真駒内公園を結ぶ.その名通り札幌冬季オリンピックにあわせて昭和45年(1970年)竣功した.連続鋼箱桁橋
正面に恵庭岳,左手に硬石山が見える.橋の下流に岩盤が見えるが,河道を切り下げたために露出した火砕岩類.
↓五輪大橋上流の河原の礫のインブリケイション
この付近は,扇状地より上流に位置し岩盤が浅く分布して流れが速い.人の頭以上の大きさの礫が下流(左側)に傾いている.
豊平川の上流には,豊平峡ダム(アーチ式),定山渓ダム(重力式)の二つのダムがあり,洪水時には放流するのでかなりの流速となる.
↓花魁渕(おいらんぶち)
この付近は昔は淀みがあった.「明治の末頃吉原より身請けされてきた花魁が,話と違うあまりの寂しさに世をはかなみ着飾って身を投じ,短く哀しい一生を終えたという話から,おいらん渕といわれるようになった.」(おいらんぶち(花魁渕)の由来.第1回藻南公園まつり実行委員会,1970年8月30日,説明板より)
↓おいらん淵の下流
おいらん渕の下流から上流を見ている.左側は基盤の凝灰質砂岩の上に段丘礫が載っている.河道掘削により切り下げられた区間である.
↓藻南橋(1)
国道230号が改良される前はこの橋を渡って定山渓方面に行った.現在の橋は平成7年7月竣功.橋台は逆T式で直接基礎となっている.2径間連続鋼箱桁橋.
↓藻南橋(2)
一見素っ気ないがよく見ると欄干,街路灯などが凝った作りになっている.
↓水中溶岩と支笏溶結凝灰岩
藻南公園の南で西から流下してきた豊平川が北北東に流れを変える.この屈曲点を造った原因が支笏溶結凝灰岩(約3万年前)である.
この写真の左側の白い崖はおいらん淵付近の新第三紀の水中溶岩で,右端の白い崖は支笏溶結凝灰岩の採掘跡である.支笏溶結凝灰岩は「札幌軟石」と呼ばれ倉庫の壁などに石材として使われた.
↓石山大橋
国道230号が豊平川を渡る橋.これから上流ではこの国道は豊平川の右岸を走る.3径間鋼橋.
↓石山橋
旧国道の2径間鋼橋.昭和54年(1979年)7月30日竣功.河岸には岩盤が露出している.
↓硬石山の石英安山岩の柱状節理
硬石山として明治時代から採石,骨材として利用されてきた.採掘跡は一部宅地として造成されている.
↓しらいかわ橋(1)
旧国道から対岸の十五島公園に渡る吊り橋.
↓しらいかわ橋(2)
手前の露頭は硬石山から続く石英安山岩.吊り橋の向こうに石英安山岩と泥岩の接触部がある.この付近の河原は昔から炊事遠足のメッカで,ジンギスカンとビールで盛り上がる.
↓手稲山に沈む豊平川の夕日
「手稲山夕焼け小焼けのするところ.こちゃ,牧草片敷き真理解く」と言うのは北大のストーム歌の中の歌詞.
日が沈むので今日の写真撮影も終わり.