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アラスカ オーロラ旅行(1)

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 カーテン状のオーロラ

 フェアバンクスに着いたその晩に現れたオーロラ.この日は最初から活発で,深夜1時過ぎに一気に現れた.黒く筋状に見えるのは雲である.

 同じくカーテン状のオーロラ

 オーロラはダンスをするというが本当にそうである.刻々と形を変え十分以内でたいてい収束する.

 (2009年2月15日作成)

 5泊6日でフェアバンクスのオーロラ見物旅行に行ってきた.千歳直行便で6時間で行けること,赤祖父氏の講演が聴けるということ,永久凍土のトンネルに入れることなどパック旅行としてはかなりユニークで,ハードな旅行であった.
 写真と一緒に旅行の様子を伝える.

オーロラ見物のきっかけ

 オーロラを見に行こうというのは,妻が陸別でオーロラを見たいと言っていたことに始まる.
 調べてみたらコペンハーゲンなどに飛んでそこからキルナなどの北極圏に行くツアーがあった.これなら,オーロラも見られるしフィヨルドも見ることができる.キルナから汽車で北極海沿岸に出てフェリーで海を行きフィヨルドを見るというのがあった.
 魅力的でこれにしようかと思って近くのJTBに行ってみたら,これは電話でだけ扱っているものだという.それで,何だかうさんくさいと思って店にあったパンフレットを見ていたら,千歳直行でのオーロラツアーがあった.
 そして,何と赤祖父氏の講演まで付いている.値段は燃油チャージ別で20万円.これだ!と思った.永久凍土トンネルやアラスカ大学フェアバンクス校の見学があり,オーロラ写真家中垣哲也さんも同行するという.直ぐにこれに決めた.海外には4回ほど行っているがツアーというのは今回が初めてである.

 中垣さんのスライドショーというのが,日航の入っている日本生命ビルであり行ってみた.実に見事な映像で期待は高まった.
 ただし,普通のカメラで撮るには工夫が必要で,広角の明るいレンズ,寒さ対策として交換電池を用意することなどの準備が必要なことも分かった.当然三脚は必需品である.そこで,この際,機材を揃えようと35mm/f2のレンズと雲台式の三脚,ISO1600のフィルムを用意した.デジタルカメラを買うことも考えたが,全体の経費を睨んでやめにした.
この選択は間違いではなかった.ただし,フィルムはISO800でも大丈夫だったような気がする.

 あとは防寒対策である.モンベルに行って,手袋,靴下,フリースを買い,長男から羽毛のインナーを借りた.この中で役に立ったのはフリースと靴下.手袋は5本指は保温の面からダメで,羽毛インナーは保温効果抜群であったが,室内の温度(ほぼ25℃)と外気温(例えば-30℃)の落差が大きく扱いが難しかった.

フェアバンクスへ

 1月28日(水)午後3時40分の伏古10条3丁目発のバスで出発する.荷物は大型のスーツケース一つとそれぞれの手回り品を入れた小型リュックを持った.ホテルの移動はないので,スーツケースは宿に置いてリュックで出かけるというスタイルにした.旅行の時の原則として荷物は一人二つが限度と思う.そのうちの一つは肩に掛けられるか背負えるものでできるだけ両手を使えるようにしておくのが良い.

 千歳空港には午後5時20分頃に着いた.集合は午後7時なので十分に時間がある.空港2階のレストランに入り,コーヒーを飲み食事を取った.出張での旅行ではこういう余裕のある時間はなかなか取れない.

 午後7時半から出国手続きの開始.
 まず,航空会社のカウンターで機内に持ち込まない荷物を預け航空券を貰う.それから手荷物(機内持ち込み荷物)の検査,出国審査をして待合室に入る.妻は化粧品が制限容量(100ml)を越えていて持ち込むのを諦めて処分して貰う.
 フィルムはジップロックに入れてエックス線検査機を通さないよう頼む.係の女子職員は「1600までは大丈夫ですよ」とぶつぶつ言いながら,それでも別扱いにしてくれた.帰りのフェアバンクスでも同じように頼んだが,別に文句も言わずに別検査にしてくれた.職業に対するプライドの持ち方が違うように感じた.
 今回のツアーは千歳からの一団と広島からの一団の二グループが1台のジャンボで行くらしい.つまり,広島発千歳経由フェアバンクス行きのチャーター便と言うことになる.

 千歳の国際線待合室は,ほぼ満員状態である.午後8時過ぎに機内へと入る.席は真ん中の通路側で壁の前という最悪の場所となった.この席は足元に荷物を置けないので,持ち込んだ荷物も上の棚に上げておかなければならない.もっとも写真を撮ることもできないから,その分寝ているか本を読むことになり落ち着けると言えば落ち着ける.

 機内食は二度出た.空港で普通に晩飯を食べたので二度目は少々きつかったが,アメリカには食品関係はまず持ち込めないので無理矢理平らげた.最初の機内食はキチンとした食事で楽しんで食べることが出来た.降りる間際に出た二度目の機内食は,ハンバーガー,おにぎり,ミカンといった内容であった.

001.jpg フェアバンクス行きの飛行機で出た機内食

 ご飯も付いて,おかずもしっかりしていて,おいしかった.これ以降,こういう小さな皿に持った料理は食べられなかった.全て一皿料理(プレートスタイル)であった.

 フェアバンクスに近づいても全く夜が明ける気配はなく外は真っ暗である.日本時間1月29日午前3時にフェアバンクスに到着した.現地時間では1月28日午前9時である.三男が送ってくれた時計はアンカレッジの時刻を表示できるようになっているので,これで過ごすことにする.

フェアバンクス空港

 待合室で順番待ちとなる.幾つかのグループに分かれ,グループ毎に入国審査室に入る.
 空港の外はようやく空が明けてきて朝焼けが見え始めた.外は霧氷が空中に浮かんでいるようにぼやけている.風景からも寒さがある程度分かる.まだ朝日は昇らない.
002.jpg フェアバンクス空港

 外はかなり寒いようで,霧(氷の霧)が出ている.まだ太陽は昇らず薄暗い.車の排気ガスや人の息の白さで寒さが分かる.

 午前10時,入国審査の時間になった.
 入国審査は8人で対応してくれた.パスポートを提出し右の親指,右の4本指,左の親指,左の4本指の順でスキャナで指紋を採られ,丸いハンディカメラで顔写真を撮られる.ツアーのためだろう質問は全くなし.どの係官も明るい.これがアメリカ人の気質か.

 税関は機内で書いた税関申告書を渡すだけで済む.機内食を大事に持っていると没収される.ハムを挟んだバーガー.鮭のおにぎりもダメで何が持ち込めるのか未だに分からない.
 税関の係員に申告書を渡しすでにコンベアからおろされているスーツケースを押して空港ロービーに出る.

 札幌からの団体はグループ1とグループ2に分かれてバスに乗る.最後までこのグループで行動することになる.
 空港ビルの外に出てみると冷たいこと.感じとしては6月頃の東京から札幌にやってきて感じる清涼感と言ったらいいだろう.ちょっと別格の寒さである.

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 フェアバンクス空港のロビー

 比較的新しく,アラスカらしく天井には木を使っている.

 ガイドのMrs.もとこ・ロレンス(左端)

 もとこさんは,フェアバンクス郊外に住んでいる.毎日のバスの中で,住んでいる人ならではの面白い話を聞かせてくれた.

ホテルへ

 スーツケースを大型バスに積んでソフィーステーションホテルに向かう.後輪がダブるの10輪のバスである.空港からは車で5分くらいの近さである.バスの中での説明では,今日の日の出は午前9時49分,日の入りは午後4時17分だという.気温は−30℃で寒い時は雲が出にくいのだそうだ.
 宿はエアポートウェイからフレッドマイヤーというスーパーの信号を右に曲がり,直ぐの所にある.フレッドマイヤーを挟んで反対側(東側)にセイフウェイというスーパーがある.宿には台所が付いているので,この辺りで買い物をして自炊するのが安く挙げる方法だそうだ.

 午前10時半にホテルに到着した.3階建てのカギ型の建物で,スーツケースはホテルで部屋に運んでくれた.そのまま2階のラウンジに集まってこれからの行程の詳細な説明がある.

 このホテルにはフロントに切手があるので葉書を出すことはできる.
 1階にコインランドリーがあり,24時間あいているフィットネスジムもある. 電話は市内は無料でインターネットはフロント脇の機械を使える.
 今説明を受けているラウンジはエクスプレス・ラウンジ,朝食などはザックスと言うレストランで取る.ザックスは朝は7時から11時まで,昼飯は11時から14時まで,17時半から21時まではディナーの時間となっている.
 部屋のカギはカードキーでカードには部屋番号は書いていない.窓は決して開けてはいけない.スチーム管が凍って,えらいことになるのだそうだ.この時はよく分からなかったが,ここの寒さが分かってくるとさもありなんとあとで実感した.つまり,ものすごい冷気で窓や壁の下を通っているスチーム管が凍ってしまうのだ.
 午前10時から部屋の掃除が始まるが”privacy please”と言う札を鍵穴に指しておけば大丈夫で,掃除して欲しい時は”service please”と札を裏返せばいい.
 水はそのまま飲んでも大丈夫だそうだ.
 チップは枕の下には毎朝1ドルを置く,レストランでは料金の15〜20%をウェイターなどに支払いの時直接渡す.日本で買っていった食事券(ヴァウチャー)についてはチップは要らない.
 フロントでおにぎりセットを5ドルで売っている.日本人観光客を多く受け入れているのだろう.

 このあと,今日の午後からの予定とその後の予定が全て詳細に説明された.
 これからに日課は,朝10時頃に起きて食事を取り昼から出かけて午後5時頃宿に戻り夕食と睡眠を取って午後10時にホテル出発でオーロラを見に行く.翌朝午前3時頃宿に戻り睡眠を取って朝10時前に起きるという風になる.

 以上の説明のあとカードキーを受け取りそれぞれ部屋に散る.時間は昼の12時半頃である.
 部屋は広くて気持ちが良い.何と言っても暖房が効いているのに音がない.部屋の温度は壁に取り付けられたメーターで調節する.表示は華氏なので調子が狂うが華氏80°Fが摂氏27℃だから80くらいに合わせておけばまあ暖かい状態である.寝る時は華氏50°F(10℃)くらいで寒くない.

009.jpg ホテルでほっと一息

 電熱器,冷蔵,鍋,皿,カップなど揃った台所,居間,寝室,洗面所,風呂が付いたかなり広い部屋である.

夕食まで

 さすがに眠くなってウトウトとしたが興奮しているのか寝られずに午後1時頃起きてカメラを持って周辺を散歩する.ホテルの前のユニヴァーシィー通りは片側3車線で車は結構なスピードで走っている.お日様が低いのでよく車を確認して渡らないと轢かれそうな感じである.
 道路を挟んでホテルの反対側は住宅街で,一区画は我が家の6軒分以上の広さである.歩いている人は全くいない.ここでは車がないと生活できない.いろいろな施設が離れていると言うこともあるが,この寒さでは歩いていたら凍傷になってしまう.寒いというのはもちろん肌で感じるが,鼻水は凍る,涙で睫毛が引っ張られる.それ以上に寒さの象徴と思われるのは,息の白さと靴の音である.ギシギシという感じで,札幌辺りのきゅっきゅっと言う音とは違う.車のタイヤも同じ音を立てるからうるさい.スーパーへ入る道路には小石が撒かれている.札幌のように砂ではない.あまりに寒くて早々に宿に引き上げた.
大して身体を動かしたわけでもないのに,部屋に蹴るとぐったりとする.体力をかなり消耗するみたいだ.

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 ソフィーステーションホテル全景

 3階建てで全体はカギ型になっている.階数がない分,廊下はものすごく長く全体の面積は大きい.
 駐車場に見えるポールは電気のコンセントで,車の下のヒーターを暖めるのだという.

 ユニヴァーシティー通り

 ほぼ北に真っ直ぐ向かっている道路で,この道路を行って左に曲がるとアラスカ大学フェアバンクス鉱に行く.
 信号の左にスーパーがある.

 午後5時頃防寒着一式が届いた.コート,つなぎのズボン,2本指手袋それに靴.いずれも現地ならではの暖かさで,日本から持ってこなくて正解であった.日本製だとそれぞれ数万円出さないと買えないくらいの暖かさである.
 この防寒着を着てフレッドマイヤー(大型のスーパー)に買い物に出かけた.ユニヴァシィティー通りの車道の脇を歩いていくのは結構勇気が要る.歩いているのはホテルに泊まっている日本人と中国人くらいである.もちろん歩道などない.
 スーパーの買い物カートはやたらと大きい.幼児が寝転がれるくらいの大きさである.このカートに一杯に買い物をしている.そういう生活スタイルなんだろうと思う.
 パン,オレンジジュース,バター,チーズ,ヨーグルト,イチゴを買ってしめて27ドルである.何せ昼飯は,いつ食べればいいのか分からない.食べられる時に食べないと体力が持たないと思った.この時は水を買うのを忘れてしまった.水道水を飲んでも大丈夫とはいうものの,やはり水は買っておいた方が良い.オーロラ見物時に持って行く必要もある.

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 押しボタン式の信号

 歩行者用信号は全く別になっていて,押しボタンを押さないと渡れない.緑になっている時間が短く,普通に歩いて横断すると半分も行かないうちに赤になる.

 うまく撮れない写真

 写真を撮る時は息を止めないとダメなみたいである.息がカメラにかかってお化け写真となる.

 

夕食とスライドショー

 午後6時から1グループの食事である.その間に2グループは中垣哲也氏のスライドショーを見る.この時の食事のメインは鹿肉のステーキだった.私はビール,妻は赤ワインを飲んだが,これからオーロラを見に行くので1杯だけである.
 相席は旭川から来たという水野夫妻である.いろいろと話は弾んだ.水野さんは男の子ばかり3人だという.子供がハワイで結婚式を挙げるというので,ハワイにも行ったことがあるという.当方は男ばかり4人,家族と海外旅行に行ったのはイギリスだけである.この時は,国際免許を持っていって,ロンドンからエディンバラまでB&Bに泊ながらレンタカーで行き,エディンバラから汽車でロンドンに帰ってきた.

 午後7時半から中垣さんのスライドショーを見る.中垣さんは札幌医大で放射線技師をやっていて,南極でオーロラを見て感激し比較的行きやすい北極圏のオーロラの写真を撮るようになった.オーロラのバーストというのがあり,これを見ると人生観が変わるという.

 面白いのはオーロラに対する北極圏の原住民と欧米人の見方である.北極圏の人々は死者の精霊と考えていることが多いのに対し,欧米人は悪いことの前兆と考えたらしい.これは,北極圏ではオーロラの色が白や緑が主であるのに対して,ヨーロッパではオーロラの上の方に出る赤い部分が見えるからのようだ.つまり,血の色である.
 最後の晩にチェナ温泉で見たオーロラはまるで粉雪を降らせながら移動する雪雲といった感じであった.狐が尻尾で舞い上げた雪がオーロラであるというラップランド人の伝説はうなずける.
 日本で見られるオーロラも緯度が低いために赤いもので「紅気(せっけ)」と言う表現が使われている(赤祖父,北極圏のサイエンス,p116).

 午後9時近くにスライドショーは終わった.さっそくオーロラ見物の準備である.
 カメラはペンタックスのMZ-3,レンズはペンタックスの35mm/F2,フィルムは富士カラーのISO1600という道具立てである.三脚はスリックの雲台三脚で,軽くて持ち運びに便利なのでこれからも使えそうである.

クリアリーサミット

 午後10時,今回ツアーの一行はバス3台でホテルを出発する.うち2台は大型の十輪バス,1台はボンネット付きの中型バスである.いずれも白い車体である.
 ユニヴァーシィティ通りを北に向かい,ヨハンセン高速道路を東に行きフェアバンクス駅の横を通りストリーズ高速道路を北に向かい,フォックスの手前で北東に分かれてチャタニカ川沿いに行く.約1時間でクリアリーサミット(スキーランド・ロッジ)に到着する.
 フォックス付近は地下水が湧き出していてフェアバンクス住民の水汲み場になっているという.

 スキー場のてっぺんにあるロッジ周辺で北の空が開けた場所でオーロラを待つことになる.この日とあと二日間はこの場所でオーロラ見物である.この日は着いた時から北の低い空全体が明るくなっていてオーロラが遠くに見えた.頭の上は満天の星で天の川,北斗七星,北極星,カシオペア,すばる,オリオン座などがくっきりと見えた.結局この日の初めとチェナ温泉の晩が空が澄み渡っていた.

1月29日になった.

 午前0時20分,いきなりオーロラが踊り出した.北西の空にカーテンが掛かり,そのカーテンがゆらゆらと動いている.色は白.数分で踊りは消えてまた現れる.ほとんど3時間,小屋に入らずに外でオーロラを見ていた.この間,オーロラ実験用のロケットが2発撃ち上がった.そのうちの一つは写真に収めることができた.

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 スキーロッジの中

 飲み物はサービスで提供される.この日は大混雑で座る席はなかった.高感度カメラによる映像が見られるようになっていて,オーロラが出るとみんな一斉に外に飛び出す.

 ロッジの外の様子

 スキー場のてっぺんにあるロッジで,リフトの終点となっている.夜なのでスキー場の様子は全く分からない.北の空が開けているのでオーロラの見物には都合が良い.

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 オーロラ

 いきなり輝きだした.

 オーロラ

 幾筋にも分かれる.

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 オーロラ

 空一杯に広がる.頭上近くにまで伸びてくる.

 オーロラ

 一度,北の空に遠ざかっていく.

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 オーロラ

 カーテン状になって裾が踊っている.

 オーロラ

 カーテン状.

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 オーロラ

 頭上から降ってくる.

 オーロラ

 激しく形を変える.

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 オーロラ

 2列になる.

 オーロラとロケット

 オーロラ観測用ロケットの試験発射.オーロラはやや弱くなる.

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 オーロラ

 この晩の最後の輝き.

 オーロラ

 切れ切れになり始める.

024.jpg オーロラ

 西の空に去っていく.

 冷たくなったのは初めに足先である.それでも借りた靴の威力で我慢できないほどではない.カメラも何とか最後まで持ってくれた.後半は雲が出てきてあまり気温が下がらなかったのが幸いした.

 午後2時ロッジを出発し帰途に着いた.ホテルに着いたのは午前3時で,風呂に入り,夜食を取り,寝たのは午前4時である.

(つづく)

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